3日前でしたか。あるいは先週だったのかもしれません。NHKの朝のニュース番組「おはよう日本」の「まちかど情報室」のコーナーで、こみ上げる怒りをこころのうちに押しとどめ鎮める方法について紹介していました。
そこで担当キャスターの方が、自分は怒りが沸きそうになったらすぐさま「お互い様」と唱えるようにしているとおっしゃっていました。
なるほど!よいアイデア!と、以来「思い出し怒り」が起きそうになるたびに「お互い様」を使うようにしています。
これまで僕は「お互い様」は謙譲語のひとつであると捉えていました。
たとえば実家を解体する際、ご近所にあいさつに回ります。「騒音やほこりでご迷惑をお掛けしますが」とこちらが申せば、たいがいのお宅は「いえいえお互い様ですから」と返してくださいます。この「お互い様」には「こちらもご迷惑をお掛けすることがあるのですから」というヘリ下りの気持ちが込めらています。
しかし怒りを鎮めるときの「お互い様」はちょっとニュアンスが異なるように思うのです。謙譲語としての「お互い様」が「互いの様子=互いに似たようなザマ」というのに対し、それは「互いに尊敬すべき相手としての『様』」を意味しているのではないでしょうか。自分も「様」。同じように相手も「様」。であれば、怒りをぶつける筋合いなどどこにもありません。
ドストエフスキーはある小説で「ひとは最高の美徳を他人に求める」といったようなことを記していました。まさにこれが「お互い様」の喪失です。
またSNSで誰かがおっしゃっていましたが、どんなに憎らしい相手でもいまごろにんまりアイスでも食べているに違いないと思えば、そんな相手を憎む自分が馬鹿らしく思えてきます。これも「お互い様」です。
今年は家の解体と新築、コミュニティの運営などに気疲れし、憤怒にまみれることも少なくありませんでした。まあ、今年は今年。2021の来年は「お互い様」を胸にもう少し明るく歩んでいこうと思います。