本棚を整理していたら奥から級数表が出てきました。といっても一部の業界、それも相当昔の事情を知る方でなければピンとこないでしょう。
これは印刷物の文字に用いる写植の大きさを計測するシートです。単位の級(Q)から級数表と名づけられています。
1級(Q)と1歯(H)はともに0.25mmであり、シートの行を、文字の列に縦に当てることで字送りも計測できました。
なぜ僕がこの級数表を使っていたのかというと、それは広告の仕上がり見本を作成し、そこから入稿原稿を指定するためでした。広告のデザイン案をクライアントにプレゼンテーションするには最終形をイメージできるカンプを作成しなければなりません。一流のデザイン会社はほぼ実際に近い撮影を行い、実際の文言で版下を作成し、色校でプレゼンしていましたが、Fランクのデザイン会社がそんなことをしていてはコストが見合いません。
雑誌などから本文組をコピー(好きな文字組をファイリングしていました)し、イメージに近い写真やイラストを貼り付け、ぜんぜんカンプリヘンシブではないカンプを即席でこしらえていました。
コピーライターと名乗れるまでの下積み時代はレイアウトまで自分でこなします。経験を積めば、およそ美しい文字組のパターンは頭に入りますが、初心者の頃はこの級数表が手放せません。カンプに貼り付けた文字組から入稿のための級数、行送りを特定するのです。
現在は文字組の作成はおもにデザイナー自身がDTPソフトで行いますが、かつては写植オペレーターという専門職の方に依頼しなければなりませんでした。印刷用の原稿を入稿するのに印画紙を貼り付けた版下というものを作成します。美しい文字組はデザインの要のひとつであり、写植オペレーターさんの職人技の見せどころでした。級数と行送りを指定し「ここはツメで、ここはツメツメで」とコメントを沿えるだけで文字の左右がきれいにそろった箱組を作ってくれたものです。デザイン会社の優劣は近所にうまい写植屋さんがあるか否か、で決まると僕は思っていました。
余談ですが、吉祥寺にはグラフィコという写植を依頼できる出力センターがありました。後に独立し、作った広告制作会社でグラフィコの腕の立つ若い職人さんに大変お世話になりました。広告デザインのメッカである銀座、青山、渋谷ではなく最初に吉祥寺に事務所を構えようと決心できたのはグラフィコさんのおかげでした。
さて、この級数表もやがてデザインの表舞台から姿を消す時がやってきます。そのきっかけはMacと文字のエッジや線がなめらかに出力できるポストスプリクトプリンターの登場でした。DTPがデザイナーの手元にいっきに引きよせられたのです。その流れはプリンターのカラー化(昇華型やレーザーの登場)、フォントのOTF化、クオークエクスプレスの日本語化、Adobe Photoshop・Adobe Illustrator・Adobe InDesignの普及によって一気に加速しました。
これによりデザイン会社の必需品はロットリングや定規、マーカー、トレーシングペーパー、アセテートフィルム、ケント紙、トレスコープからパソコン・プリンター・DTPソフトへと変化しました。先行した印刷の現場とシームレスに接続するためデザイン業界もデジタル化が図られた形です。かつて色校をルーペで覗き版ズレを指摘したものですが、気付けばダイレクト刷版によりそれも消え、色がイメージより薄いと指摘してもデータ通りですと返されるようになりました。デジタル化によってデザイナーの役割が増え、印刷の現場から既存の職人さんたちが消えていくのが肌身で感じられました。
級数表には僕の仕事の出発点があります。そこにはお世話になった方々の面影が刻まれています。さて、この思い出の品をどうしたものか。60歳の断捨離に、僕はしばし思い悩むのでした。