昭和14年、伯祖母は息子たちを連れ潮干狩りのできる実家に里帰りした

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実家の古民家を解体した。
その際未整理の写真が押し入れからたくさん出て来た。
祖父母が数多くの仲人を務めた結果
見知らぬ方の婚礼写真が混ざり、
さらに旅行好きの祖母のおかげで
旅先の記念写真が多くを占めたが、
それでもセピア色に変色した貴重な家族写真がいくつか発掘された。

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解体直前の母屋の様子を撮影し
DVDにスライドショーとしてまとめ
家督を相続した亡き父の伯母、叔父、叔母にフォトブックとともにお届けしたところ
たいへん好評だったので、こちらも主な写真を
スライドショーにまとめ配布することにした。

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オープニングショットはわが実家にそびえていた
2本の松の木である。
海苔の養殖などで沖にでた舟が
地元に戻るための目印にする、
それほど高く大きな松の木だった。
僕も幼いころべか船に乗せられ連れていかれた際、
「見てみろ」と促され
振り向いた先に確かにわが家の松の木が遠くに小さく見えたのを記憶している。

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そんな古い写真のなかに
わが祖父の姉とその子どもたちの写真があった。
彼女は22歳の大正12年12月、東京に嫁出した。
それから16年後、昭和14年に38歳となった彼女が
14歳、12歳と見受けられるふたりの息子を
伴っての帰郷の際のものである。
わが祖父もたいへんうれしく貴重な機会と感じたのだろう。
わざわざ写真屋さんに依頼し、
立派な記念写真を撮影したものと思われる。
それは全部で3枚あり
最初の1枚は7月30日、遠浅の海岸にまだ潮が満ちており
べか船の上に祖父の姉とその息子、幼いわが父、その姉である伯母が写っている。
2枚目は7月31日、萱ぶき屋根の母屋の前で祖父母、曾祖母、使用人、
さらに前年に購入した牛まで入れた一家との記念写真である。
3枚目は8月1日、ようやく潮の満潮の都合が見合ったのだろう。
祖父の姉と息子が幼いわが父を連れだっての潮干狩りの写真である。
東京からわざわざ遠い実家を訪ね、
息子たちに貴重な体験をさせたかったに違いなく、
それが成就された祖父の姉の表情はとても誇らしげであった。

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それから数十年、彼女は「東京のおばさん」として
祖父母とその息子娘たち、そして孫の僕ら兄妹に親しまれた。
しかしある辺りから次第に疎遠となっていった。
それは息子からの借金の依頼が原因であったようだ。

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僕はそうした経緯を思い出しながら
写真をスライドショーに収めるためスキャンしていた。
そのとき写真を装丁したカードの余白に息子の名が記されていた。
しかし旧字の筆記体でそれがどんな字であるか判別できなかった。
わざわざ画像編集ソフトにフリーハンドで記し
画像検索をかけたがそれでも確信の持てる漢字には行き当らなかった。
そこで姓と分かっている東京のある地名で検索をかけてみた。
すると名前全4文字のうち3文字が一致する方を見つけることができた。
そしてその名前の4文字目が「国」であることが分かった。
「国」の旧字を検索したところ
まさしくカードの余白に記された文字と一致した。
恐らく90%以上の確率で、この方があの写真に写っていた息子に違いない。

*

そこで僕は実家の解体直前のスライドショーDVDと
ご本人が映ってる海での写真を収めたDVDを贈呈すれば
どんなにかよろこんでいただけるに違いないと期待した。
検索でヒットしたのは2000年時点でのお名前とお電話番号、ご住所のデータであった。
そのサイトには2007年の更新情報も掲載されていたのでそちらを確認してみた。
しかしそこに彼の名前はなかった。
7年間でその家は消滅、あるいは転居されたようだった。
もしかしたら余計な行いだったのかもしれない。
それでもわが一族のひとつの末路に思いを馳せたことは事実である。
古い写真からの家族史探訪。切なくも確かに温かい時間だった。

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