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子どものころ

フルサト

青いブーメラン

2019/3/9    , ,

  竜宮城をみつけた日から数年後、僕は小学6年生となったが、工業用地として埋め立てられた干潟はまだ出来そこないの陸地だった。 工法はわからない。たぶん沖合の浚渫(しゅんせつ)した砂を用いたのだろう。新しく生み出された陸地にはおびただしい数のツノガイが白い躯となり転がっていた。平たく丸いタコノマクラも捨てられたクッキーのように散乱していた。子どもでも、それが自然破壊の姿であることがみてとれた。 陸地の向こうに海はあるはずなのだが、1km以上向こうに遠のいてしまい見えない。目の前にはひび割れた半泥地が広がるだけだった。 日曜日に行くとラジコン飛行機が軽快なエンジンを響かせ飛んでいた。なるほど遮るもののないこの場所は趣味のフライ ...

フルサト

ヤマカガシ様となったガキ大将

2019/2/14    ,

  ヘビが苦手です。あの手も脚もないヌメっとした棒がくねくねと前へ進む異様な姿に怖気を覚えます。しかしドジョウやウナギはぜんぜん平気なので、やはり子どものころの教えがその後のヘビ嫌いを育てたのだと思います。 故郷の村は、中央を流れる小川によって二つにわけられ、南向きの斜面には、小規模な棚田が広がっていました。水田にはカエルがたくさんいて、それを狙うヘビも生息していました。 自転車を走らせれば藪から突然道を横断しはじめ、ブレーキをかける間もなく踏み抜く(ヘビはぜんぜん平気)。友だちの家に遊びに行こうと田んぼのあぜを近道すれば、段差の上にかけた手で日向ぼっこの太い腹をつかむ(そのままダッシュで掛け去る)。一歩家の外に出れば、い ...

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スライドショー フルサト

竜宮城をみつけた日

2019/2/13    , ,

  故郷の目の前は海で、広い干潟があった。それは隣村で干拓となっていた。 干拓といわれても、ぴんとこない人が多いだろう。干拓は、海に土を盛り、周囲を堤防で囲み、新たな陸地を生みだすものだ。水路を巡らせた隣村の干拓は一面の田んぼとなっていた。 干拓には実家の所有する田があった。水路は深く、道との境目をアシやガマが隠し、小さな子どもにはとても危険な場所だった。だから、たまにしか連れて行ってもらえなかったが、干拓の思い出は鮮明だ。 * あるとき叔父が青いザリガニを見つけた。父といっしょに水門まで走り、のぞくと、そいつがいた。青なんておしとやかなものではない。コバルトブルーのザリガニだった。その日は網を持っていなかったので、後日叔 ...

フルサト

むかし古いお堂のあったところ

2019/2/11    ,

  家族に頼まれ祖母をお堂に呼びに行く。閉め立てられた雨戸の節穴から覗くと、薄暗い部屋のなか、老婆たちが車座になり念仏を唱えている。じゃらじゃらと音がするので目を凝らすと、全員の膝の上に黒光りした玉が載っていた。右から左へとリズミカルに移動する、赤ん坊の頭くらいある玉。それは巨大な数珠であり、生きた大蛇のように巧みに回っていた。 いまではすっかりすたれてしまったが、それは「講」と呼ばれる村人の寄り合い行事のひとつだった。 当時はさまざまな「講」が組まれていた。覚えているものには念仏を唱える「八日講」、妙齢の女性たちの「観音講」、小さな子をもつ母親たちの「子安講」などが、また何をしていたのかわからず名だけが耳に残る「恵比須講 ...

カゾクト フルサト

母の帰省と僕とバス

2019/2/7    , ,

  母の実家は山里の長閑な場所にありました。 代々半農半漁で生計を立てていた僕の生家は海のそばにあり、住人の気性は荒い。血筋のバランスを考慮したのか、嫁は比較的おっとりした人の多い山方から迎えられました。曾祖母も、祖母も、そして母もそうです。 真夏の農閑期、母には里帰りが許されました。今では広いバイパスができて車で30分も走れば着きますが、僕が幼い頃はバスを乗り継いで半日掛かっていました。 海沿いの国道を大回りして繁華街まで行き、そこにある大きな車庫のバスターミナルで乗り継ぎます。田舎行きのバスは便が少なく1時間近く待たなければならないこともありました。そんなとき母は駅前の不二家でパラソルチョコを買ってくれました。 大きな ...

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