子どものころ

フルサト

この道はいつか氷を踏んだ道

2019/10/30    

実家の前に小道があり、その向こうにうちの休耕田があります。 今日は今年最後の草刈りでした。秋に刈っておけば春までそのままにしておける。ほっと一息つくための希望の労働です。 土手を刈り、道に落ちた刈草をほうきでかき集める。その小道は今は側溝が掘られた立派なアスファルトとなっていますが、僕が子どものころは、土がむきだしのデコボコ道でした。 そこに雨水が溜まると冬には氷が張りました。小学校への登校時、家の敷地の出口をほんの数メートル出たばかりのところで、僕はこれからの通学路の退屈を紛らわそうと、靴のかかとで白い氷の面を押し割りました。気圧の変化によるのか、地面への水の浸透のせいなのか、くぼみにできた氷にはよく白い面ができ、格好の遊び相手に ...

フルサト

いちじくの思い出

2019/9/28    , ,

実家には蔵がある。その裏手はかつて2mほど下る土手で、広い田んぼにつながっていた。屋敷の北側に位置するそこは春にはレンゲ草が咲き、秋にはいちじくが実る、季節の大きな節目を知らせてくれる場所であった。   ぺてさんによる写真ACからの写真 いちじくの木は4本ほどあったろうか。いずれも背丈は3mあまり。風が吹くと硬く大きい葉がぶつかりあい、バラバラバラと愉快な音を立てた。蔵の陰になっている土手は夏でもひんやりし、よく枝にまたがりマンガ雑誌を読んだ。 毎年秋になると空気が甘く感じられたのは庭の金木犀の蕾だけでなくいちじくの実りの報せもあったろう。たわわに実った青いいちじくは秋の到来とともに赤紫へと変化していった。 完熟するまで待 ...

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フルサト

青いブーメラン

2019/3/9    , ,

  竜宮城をみつけた日から数年後、僕は小学6年生となったが、工業用地として埋め立てられた干潟はまだ出来そこないの陸地だった。 工法はわからない。たぶん沖合の浚渫(しゅんせつ)した砂を用いたのだろう。新しく生み出された陸地にはおびただしい数のツノガイが白い躯となり転がっていた。平たく丸いタコノマクラも捨てられたクッキーのように散乱していた。子どもでも、それが自然破壊の姿であることがみてとれた。 陸地の向こうに海はあるはずなのだが、1km以上向こうに遠のいてしまい見えない。目の前にはひび割れた半泥地が広がるだけだった。 日曜日に行くとラジコン飛行機が軽快なエンジンを響かせ飛んでいた。なるほど遮るもののないこの場所は趣味のフライ ...

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ヤマカガシ様となったガキ大将

2019/2/14    ,

  ヘビが苦手です。あの手も脚もないヌメっとした棒がくねくねと前へ進む異様な姿に怖気を覚えます。しかしドジョウやウナギはぜんぜん平気なので、やはり子どものころの教えがその後のヘビ嫌いを育てたのだと思います。 故郷の村は、中央を流れる小川によって二つにわけられ、南向きの斜面には、小規模な棚田が広がっていました。水田にはカエルがたくさんいて、それを狙うヘビも生息していました。 自転車を走らせれば藪から突然道を横断しはじめ、ブレーキをかける間もなく踏み抜く(ヘビはぜんぜん平気)。友だちの家に遊びに行こうと田んぼのあぜを近道すれば、段差の上にかけた手で日向ぼっこの太い腹をつかむ(そのままダッシュで掛け去る)。一歩家の外に出れば、い ...

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竜宮城をみつけた日

2019/2/13    , ,

  故郷の目の前は海で、広い干潟があった。それは隣村で干拓となっていた。 干拓といわれても、ぴんとこない人が多いだろう。干拓は、海に土を盛り、周囲を堤防で囲み、新たな陸地を生みだすものだ。水路を巡らせた隣村の干拓は一面の田んぼとなっていた。 干拓には実家の所有する田があった。水路は深く、道との境目をアシやガマが隠し、小さな子どもにはとても危険な場所だった。だから、たまにしか連れて行ってもらえなかったが、干拓の思い出は鮮明だ。 * あるとき叔父が青いザリガニを見つけた。父といっしょに水門まで走り、のぞくと、そいつがいた。青なんておしとやかなものではない。コバルトブルーのザリガニだった。その日は網を持っていなかったので、後日叔 ...

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