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妹の味

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妹が遅番の出勤途中に寄り、夕べのおかずをおすそわけしてくれました。

鶏の唐揚げ。大根とがんもどきのほの甘い煮物。

とくに唐揚げは料理するのがとてもじゃないけど面倒で、でも前回東京の家に帰宅した際はつれあいに次回はぜひ作ってくれろと願うほど大好きで、そろそろスーパーで買い求めようかと思案していたところだったので、まさにグッドタイミング。お昼にちょうどよく、ありがたくちょうだいしました。

あちらも子供たちは独立し、いまや旦那と二人暮らし。手抜きをすればできるものを、さすが手慣れた主婦にはたやすい手間なのか、あるいはわざわざうちの分も考えての手間なのか、とにかく手の込んだおかずを作ってくれるのはありがたいことです。

僕は高校を卒業して以来ほとんど家にいつかず、ふらっちょふらっちょしていたので、2歳下の妹が結婚するまできっと実家で作ったであろう手料理を食べたことがありません。

母と同居するため実家に帰ってきてから、たまにこうしておすそわけをいただいておりまして、そのたびに思うのであります。

僕の口にとてもよく合う。つまりなんの抵抗もなく美味しい。

ほかの家庭の味というものは、どんなに美味しくても、香りや後味などにたいがい違和感があり、やっぱりよその家なんだなと感じるのですが、違和感の「い」さえ、まったくありません。

「それがいわゆるおふくろの味だろう」とご指摘される向きもありましょう。しかしそうではないんです。母はさほど料理が上手なほうではなかったので、失礼ながら感激した覚えはあまりありません。かつてポストした「卵寒天デザート 」や「牛乳寒天」は別でそうしたデザートづくりは得意だったようです。

妹の手料理は、どこか洗練された美味しさなんです。雑味やしつこさなどが一切ない。華麗な味の舞いで舌をたのしませ、すんなり喉を流れてゆきます。

妹は学校の成績もよく、持ち前の明るさとリーダーシップでひとに慕われていました。そうしたペルソナが料理の賢さに現れているように思えます。

ただつれあいに言わせると僕も妹も母も塩分を摂りすぎと注意されます。血は争えません。たしかに3人そろって高血圧なんですから。

あれはお盆で親類が集まった席だったか、僕と妹が「焼き鳥は塩に限る」と意見が一致したことをつれあいはしっかり記憶しています。

つれあいの料理も美味しいですよ。でもまた初めて味わう妹の料理も美味しいのです。

これも失われていた時間を取り戻したというのか。唐揚げの載っていた妹の家の皿を洗いながら「やや大げさではあるけど、そんな感じもするな」と思う兄でした。

 

 

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