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仏様への路、神様への路

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春の彼岸を控えお墓を掃除した。

江戸時代からの古い墓石を背に祖父による威風堂々が立つ。裏を確認すると建立から34年が経過している。僕が28歳で会社を興した年に祖父もまたやるべきことをなす節目を迎えていたようだ。新しければ新しいなりにケアが必要で、墓所のあちこちにもまた手を入れなければならない。

敷地と通路、排水路には秋冬に大量の落ち葉が積もり、古い墓石の裏には斜面から流れてきた土がたまる。前回寄せた枯れ葉をイノシシが掘り散らかすことがあれば、倒木が路をふさいでいることもある。クワやスコップ、のこぎり、植木ばさみ、根切り用の手ばさみ、竹ぼうき、てみ(外用の大きなちりとり)、墓石掃除用の雑巾、たわし、水など必要となる道具は多い。小山の中腹にあるためそれらを運び上げるだけでもひと仕事だ。

手始めに通路途中の掃き掃除をしていると坂路の下のほうから枝を挟む音が聞こえる。道具を取りに行くついでに確認すると年上のご婦人だった。「ごくろうさまです」と声を掛けると「落ち葉がすごいよねえ」と思いがけず明るい声が返ってきた。お顔を拝見するが覚えがない。ただ、あちらは僕をご存じのようで気さくに接してくださっている。

ある出来事から、きっとあの方の奥さんなのだろう、と察してみるが自信はない。集会や共同作業に顔を出すのはもっぱらご主人のほうであり、こちらも40年近く実家とは疎遠の身だったので仕方ない。

夫人が掃除をしているのは、うちのお墓の通路の入口からしばらく真横に並んで伸びるもう1本の通路だ。村を守るいくつかの神様が納められた小さな祠が丘の頂上にあり、そこに通じている。

ある出来事は、2年前の村の寄り合いで起きた。

年長の顔役クラスであるご主人が通路の掃除の回数を増やしてはどうかと提案された。というのも暮れに正月飾りを奉納しようと祠に行こうとしたが路が荒れていて登れなかったからだった。例年1回村人総出で掃除をしているが、その前年は大きな台風が通過し落ち葉や倒木がひどかったようだ。

しかし提案は別の顔役によりすぐさま否定された。寄り合い作業をなるべく減らしていこうという流れもあり、ご主人の分は芳しくない。

「村の神様を信心する気はないのか」
「ああないよ」
「この罰当たりが」と言い争いが始まってしまった。

翌年度の村のコミュニティの長の任が内定していた僕は、それを止めるため折衷案を出した。
「長が確かめて必要と判断したら臨時的に作業要員を集める、ということでどうでしょう」

それによりなんとか場は収まり、以降そのご主人とはなにかと話をするようになった。所用でお宅を訪ねることが何度かあり、それで夫人は僕の顔を知るようになったのだろう。

今年度の長の判断はおそらく通路の清掃は必要なしだったのだろうが、足腰が弱くなってきたご主人にしてみればとても登れたものではなかったのかもしれない。そのため夫人が駆り出されたというのが僕の見立てだ。

じつはその通路も祠も墓所同様うちの所有林にあり、祖父は僕の叔父にあたる次男を連れ毎年掃除に当たっていたそうだ。あの出来事の後に知り、やや後ろめたくなったが、こちらも手一杯であるため知らぬふりをとおしている。

3月も10日が過ぎ、それまでの寒さが嘘のように急に季節を先取りし暖かくなり始めたこの頃、曇天とはいえ、からだを動かせば汗が頬を伝う。丘の林のなかで離れていても互いの作業の音が聞こえる間柄になんとなく親近感がわいてくる。

腰が疲れ、腹も空き、そろそろか、と何度か思いつくうちに、ようやく遠くの工場から正午を報せるサイレンの音が聞こえてきた。僕は午後の作業もあるからとその場に道具を置き、軍手を脱ぎ、墓所から通路を下って行った。

ご夫人はまだせっせと落ち葉を作業用の大きな袋にかき集めている。僕はいくぶん冗談めかした声で「お昼ですよー」と呼びかけた。

「きりがないよねー」と返ってきた声は、息を切らしながらもどこか春の陽気をまとい温かかった。

 

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