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遺された写真にファインダーを覗く父を想う

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実家の倉庫を片付けていると父の遺品のなかからまとまった量の写真が出てきました。ほとんどが社員旅行等で撮ったもので見知らぬ老若男女が笑顔で収まっていました。

父はカメラマニアでも、写真好きでもありません。ただ心に留まったものを記録しておきたい性分だったようです。俳句でも、スケッチでもなく、ほとんどのひとがそうであるように、手っ取り早い方法としてコンパクトカメラの写真がありました。

下の1枚はマレーシアのある都市の風景です。視点が少し高いようなので、たぶんバスか電車の座席から撮ったものでしょう。

tampin

なぜマレーシアと特定できるか、といえば、同日のほかの写真に「TAMPIN」と書かれた看板の立つ駅のホームが写っていたからです。ウィキペディアでその場所を突き止めました。

父はきっと平坦な土地に突然立派なビルディングが現れたのを見て、ただそれだけに感動してシャッターを切ったものと思われます。ほかのひとから見たらつまらない観光写真ですが、その時その場に居た父の衝動が手に取るようにわかります。恐らく僕も同じ行動に出ると自信をもって言えるからです。

観光名所でもなんでもない風景に心を寄せるその詩情を父が持っていたことに少し驚き、やがて納得し、安心したのでした。センチメンタルの血が僕の中にもしっかり流れています。

この4年後父は他界しました。でもファインダーのこちら側に確かにあなたはいる。22年後、あなたの視点はとても温かいです。

 

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