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母の帰省と僕とバス

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母の実家は山里の長閑な場所にありました。

代々半農半漁で生計を立てていた僕の生家は海のそばにあり、住人の気性は荒い。血筋のバランスを考慮したのか、嫁は比較的おっとりした人の多い山方から迎えられました。曾祖母も、祖母も、そして母もそうです。

真夏の農閑期、母には里帰りが許されました。今では広いバイパスができて車で30分も走れば着きますが、僕が幼い頃はバスを乗り継いで半日掛かっていました。

海沿いの国道を大回りして繁華街まで行き、そこにある大きな車庫のバスターミナルで乗り継ぎます。田舎行きのバスは便が少なく1時間近く待たなければならないこともありました。そんなとき母は駅前の不二家でパラソルチョコを買ってくれました。

大きな街から山の中の母の実家まで地面が露出したデコボコ道です。ボンネットバスはときどき大きく揺れました。

そのときバスは満員状態で、座席の僕の前にはハンドバッグを肘から下げた女性が立っていました。手はつり革をつかんでおり、ちょうど目の前にそのバッグがあった。視界をふさがれ余程いらだったのでしょう。僕は「前が見えない」と声を荒げ、手で強く払いのけたそうです。バッグがぶら~んと大きく揺れたのを見て、母は思わず吹き出してしまったと言います。母は僕の成長の折々にそのことを話し笑いました。

恐ろしく長いことバスに揺られ、ようやくたどり着いた停留所は、山あいの田んぼの中にあり、そこには傾いた標識がポツンと立っていました。

夏のかんかん照りが続いた後など道は乾燥し、バスの後に土煙が舞い上がります。僕たち親子は煙幕が立ち込める中に降り立ちました。息もできなくなり、申し訳程度の日陰を作る立木に身を寄せ、田んぼの向こうに風で流されるのを待たなければなりませんでした。しばらくして視界が開けると、さっきまで乗っていたバスが遠くに、白い土煙を引き連れ走り去っていくのが見えました。

あるとき年老いた母に、あの土煙の話をしました。先立った夫(僕の父)のことを思い出し、そういえば車が埃だらけになるのを嫌がり送っていってくれなかった、と笑いました。僕のハンドバッグの話は、もうしませんでした。

 

 

 

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