さて、選挙です。
わが市でも議員さんの改選があります。
とくに肩を入れている党があるわけでなく、無宗教、無組織なので、票を投じなくてはならない党もない。国政選挙もそうですが、毎回、選挙公報を読み比べ、最も納得できる公約の候補を選ぶようにしています。
告示から3日目ぐらいのことです。スーパーへ買い物に出かけると、街道の横断歩道の脇で演説をしている若い候補がいました。
人通りの多い駅前でビラを配ったり、選挙カーの上で拳を振り上げたり、派手な演出を繰り広げる大政党の候補がある一方で、自転車に拡声器ひとつ、のぼり1本、ひとりで辻に立つ弱小候補は珍しい光景ではありません。
ただ一つ、心に残ったことがありました。
歩行者用信号が赤で通行人が溜まっているときだけ声を発しているのです。青になり歩き出すと演説をやめてしまう。横断歩道に差し掛かって間もなく信号が青になった僕とつれあいは、彼の存在に気付くも、その言説の意味が脳に届く前に渡りはじめ、演説がストップしてしまいました。
合理的ではあるのでしょうが、これでは何も伝わらない。素人だから仕方ないのか、と苦笑しながらその場を過ぎました。
投票日の本日、その一件を思い出し、公報からその候補を探してみました。子育て、介護、税金、安全安心…お馴染みの文言が“安売り”されている中、端っこに彼の公約がありました。
市の小学校出身で、具体的なことがみっつ書かれていました。それをここに挙げることはできませんが、およその内容は「選挙をクリーンにすること」「街に緑を増やすこと」「議会をオープンにすること」です。
つれあいははじめ「どうでもいいことばかり」と鼻で笑いました。でも僕はあの日横断歩道で感じた「素人」を思い出しました。手ごわい旧弊を改めるのに、僕らは選挙のたびに新鮮な候補に投票してきたはずです。それをつれあいと確認し、あらためてその公約を読み直すと、なんと輝いていることか。多くの候補が政策レベルから解体しなければ実現不可能なことを述べているのに対し、彼は市議会の議決ひとつですぐに実現できることだけを簡潔に述べているのです。
じつは今回の選挙は棄権しようかと考えていました。常日頃「選挙には行くべし」という態度を貫いてきた僕の“老い”の感情です。
しかし、野党勢力が壊滅状態にある今「素人」の発想からやり直すことは無駄ではないかもしれません。
僕たちは午後、彼に投票しようと思いました。