ジャガイモがくれた幸福な時間

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2月末に種芋を植えた春ジャガイモの芽がようやく出そろった。そしてこのところの初夏のような陽気でよけいな草の芽も生えだしている。このくらいならばまだ気にならないと放っておくと、後で厄介なことになるので注意が必要だ。昨年は気付いたらジャガイモの日当たりに影響が出るほど伸びてしまい、除去に手こずることになった。そこで今年は心を入れ替え、初夏の暑い日差しの中、草取りに取り組むことにした。

軍手をし、片手に小さなシャベルを持ち、1本1本抜いていく。その細かさはまるで美人のお姉さんのお肌のお手入れのようだ。実際にやったことはないが、たぶんそれくらい気を入れて、余計なものを取り除いている。最初は作業ズボンが汚れるのを気にし、しゃがんだ格好で行うが、そのうち腰が痛くなり、結局は両膝を地面につき、這いつくばるように草と向き合うことになる。

黙々とやっていると、時に訪れる風が心地よい、小鳥たちのさえずりも聞こえる。七星のテントウムシがズボンの上を這っているのを見つけたりする。

ジャガイモは瘦せた土地でもよく育つ。そのため貧困の象徴として表現に用いられることがある。映画「ニーチェの馬」でも、この世の終わりかと思われる強風が吹きすさぶ荒れ地で古びた小屋のなか兄と妹が毎日茹でたじゃがいもだけを食べている。単調で暗い映画で主役級の存在感を放っていた。

頬に流れ出す汗を肩の袖で拭いながら草をむしっていると、そんな暮らしに思いが及ぶ。大規模農業が生まれる前、昔の庶民が自前でジャガイモを育てていた時代。世界中の人々がきっとこうして草をむしっていたに違いない。それと同じ体験をしている自分の今が、なんだかとっても豊かで尊いように思える。食物を育て収穫することは人間が生きるための根源的な喜びだ。その時間を僕は持っている。

若い頃は前線で重要な仕事に打ち込むことを喜びとしていた。老いて、すべてを手放した今、僕は土と野菜と草と戯れている。まあまあよい人生とすべきなのだろう。

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