ココロノ

Kの1978年

浪人時代、Kと僕は同じ部屋に住み込み、アルバイト生活を送っていた。

 

喫茶店の店長とチーフも加えれば若い男4人の住まい。たまにラーメン店の店主が訪れ、しまりのない飲み会となる。

誰かが海外の裏ビデオを掛ければ、地元では知られた進学校卒業生であるKと僕に同時通訳が命じられる。そういうことが得意ではないKに代わり、僕が裏声で悲鳴をあげ場をなんとか持たせるということもあった。

 

ともに自動車教習所に通い、最初は同じ時間に通っていたが、朝が苦手な僕はやがて遅れを取る。Kはペースを崩すことなくきっちり先に卒業した。

 

お店の休業日が同じだったので、都合があえばふたりで過ごした。

とはいえ何をするということもなくパチンコで稼いでは1000円食べ放題の焼き肉で腹を満たすのが唯一のたのしみだった。こう書くと僕がパチンコの名手のように思えるだろうが、そうではない。ものの数分で僕は持ち金をすり、Kがふたり分の焼き肉代金をたたき出すというのが常だった。

彼は学校生活の多くに持ち前のセンスを発揮する人物だったが、それはパチンコや競馬などの賭け事もそうで、僕より数段秀でていた。

 

ある日彼が配達か何かで不在のとき、僕が昼休みにラーメン店を訪れているとカウンターの向こうから店主がKのモテエピソードを話し出した。

近くのデパートの女性店員がKを目当てに毎日やってくるというのである。そしていなければいないで店主に情報を求める。店主は「あの女はイカれてるから注意した方いい」と僕にニヤ付きながら伝えたが、どこまでが本当のことなのかよくわからなかったので、その後Kに確かめたことはない。

たとえそんな事実があったとしてもきっと災難にあうほどではなかっただろう。

Kのラーメン店時代のことを書くつもりだったが、じつは僕はそれほど知らないのかもしれない。ほかに店員もなく、いつも厳しい店主とふたりっきりだったので、黙々と働く姿しか思い出せない。

 

しかしそれから29年後、僕はKから意外な言葉を聞くことになる。

 

Kは脳腫瘍を患い、奇跡的ともいえる術後回復を見せたが、がん細胞はその後肝臓に転移する。ある日、病室に彼を見舞うと、こんな話をした。

奥さんとふたり。回転寿司のカウンター。店内放送で南沙織の「春の予感 」が流れた。彼は思わず涙があふれうつむいたという。奥さんに「どうしたの?」と聞かれ「いやワサビがきつくて」と言い訳した。しかしじつはあまりの懐かしさに堪えられなかったのだという。それは1978年にヒットした曲。彼にとって人生最高の年だったと打ち明けた。

「春の予感」が具体的にどんな出来事に結びつくのかわからなかったが、それを知った僕は1978年にヒットした日本のポップスを調べダウンロードし1枚のCDにまとめ届けた。

 

それから1年も経たずしてKはこの世を去る。

 

たしか一周忌の日だったと思うが、かつて彼もいた奥さんのマンションを訪ねる。

ふと「春の予感」のエピソードを思い出し、奥さんに話すが初耳だという。僕が贈ったCDも知らないそうだ。そういえば部屋を見渡してもスピーカーが見当たらない。聞けばCDを再生できるのは彼女が毎日仕事で使っているクルマのなかだけだそうだ。

Kは音楽のない生活を送っていた。

 

結局僕は彼をどれほど理解していたのだろうか。そんな疑問を抱いてもなお唯一の親友と決め込んでいるのだからノーテンキなものである。でも、彼ならたぶん、わかってくれるだろう。

 

 

(その年僕は)

1978年

 

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