叔父のお裾分け

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農家の叔父が長ネギとショウガをお裾分けしてくれた。
携帯で「あるか?」と聞かれたので「ない」と答えると「じゃあ、持っていくよ」と笑みを含んだ快活な声が届いた。
その日のうちに出荷用の大きなもみ(米)袋にいっぱいの長ネギとしょうががやってきた。
母と二人でとても食べきれる量ではないが、ここは笑顔で感謝を申し上げる。
玄関先に立つ叔父をよく見るとさらにもう片方の手にはおこわ(赤飯)と茹でた枝豆、仏壇用に菊の花二束がある。
名前に「晴」の一字を持つ叔父はいつもその場を照らす陽気さを持ち合わせている。今日はそれにしても格別な快晴をわが家にもたらしてくれた。
「まあ、お茶でもやっていってくださいよ」と家に上がってもらい、僕の母を交えてのしばしの世間話。あちこち出歩くのが好きなので話題がつきない。近所の親類の情報を、もしかしたらチャイム鳴りっぱなし?と思えるほどの“速報”で伝えてくれる。
そんな叔父が一瞬浮かぬ顔つきで話し出した。
「枝豆好きか?」と聞かれる。「美味しいよね」と答えると「俺はあんまり好きじゃない」「旨いと思ったことがない」と言う。僕はあら、珍しいひとがいるもんだと思ったが「そう」とだけ返した。
さて、叔父が帰ったあと、いただいた枝豆をつまんでみる。冷蔵庫に保管してあったのだろう。時間が経過しすべて茶色味を帯びている。嫌な予感はしたが、なるほど不味い。いただいておいてよそ様に広めるのはたいへん失礼なことであることはわきまえている。しかし正直申し上げてかつて口にしたことがないほどの味だった。
というか問題は噛み応えなのだ。枝豆の味のおよそ80%は噛み応え、つまり茹で加減で決まると思っている。それがいただいたこれはまったくのぐずぐずなのだ。噛む前に、口の中に入れるとすぐ溶けてしまった。明らかに茹で過ぎである。
叔父が「旨いと思ったことがない」と言うのも無理はない。僕だって普段これしか食べていなかったら枝豆が嫌いになっていただろう。
果たしてこの枝豆はどなたが調理したものか。晴天に一点の曇りありですか、と思うも、いやいやそうではないともうひとりの自分が割って入ってきた。どんなことがあれ、もはや叔父が大きな人であることに変わりはないのだ。それは物心ついてからずっと分け与えてもらってきた形のないもの、生きる上で不可欠な光とその暖かさが証明してくれている。じつに僕の幸運は、このひとがいてくれたことである。

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