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The Long And Winding Road

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僕は高校1年生のたしか2月に盲腸から腹膜炎を患った。
腹痛で学校を早退し、家で布団に横になっていたのに
妹に大好きな瓶入りのサイダーを買ってきてくれと頼んだ。
ギンギンに冷えたそれを一気飲みしたことが
悪化の原因だと、今でも信じている。
救急車で病院に運ばれ、すぐに手術ということになり、
麻酔を打ってもらったが、これがまったく効かず
メスの入刀、患部の切り取り、すべてがライブステージのごとく
僕のハートを揺さぶった。
叫び、泣き、看護婦さんが手を握ってくれたが
痛みが和らぐことはなかった。

入院中、思いのほか級友が見舞いに訪れた。
理由はなんということはない。
面会室の窓からすぐ横に見えるのが女子高だったからだ。
体育の時間になると教室で皆着替えた。
僕らは大騒ぎでそれを見学した。
まもなく担任の先生が気付き、
着替えの前に教室のカーテンを閉めるようになった。
賢明な措置だ。でもそれで僕の見舞客は激減した。
そんな不良見舞い客に紛れ、真にこころを砕いてくれるひともいた。

中学時代の同学年に「あっちゃん」がいた。
たぶん一度も同じクラスになったことはなかったのだけど
見舞いに来てくれ、ビートルズの詩集の
文庫本上下巻2冊をプレゼントしてくれた。

本当にそれが理由なのかは、いまとなっては定かではないのだが、
僕は中学3年生のときの謝恩会で劇の脚本と演出を務めた。
その主題歌に選んだのが「The Long And Winding Road」だった。
内容は中学3年間の出来事をオムニバス風にまとめたよくある代物だったが、
友人Kのひとりサッカー部の苦悩を
当時人気絶頂の転校生とのラストでのキスシーンで癒すのが目的だった。
それは僕自身の思春期のフラストレーションの解放でもあった。
長く挫折に満ちた日々にもいつか幸運の訪れることがある。
そんなメッセージを主題歌とともに訴えたかった。

その劇の後であっちゃんと話をしたと記憶している。
彼女は「とてもよかった」と言ってくれた。
それが彼女との最初で最後のまともな会話だったのではなかったか。

先日、実家の解体前に勉強机を片付けた際、
彼女からの暑中見舞いが出てきた。
病後の健康を気遣う文面のあとに「さようなら」と綴られていた。
当時付き合っていた彼女の手紙といっしょに保管されていたのだが。
そうだ。僕はちょっと恋心らしいものを抱き、
その蕾が花咲く前に枯れたことをあの手紙で悟ったのだった。
恋の瞬間は突然訪れるが、いつも双方が準備万端整っているわけではない。
だからだろうか。片思いは思う方にも思われる方にも切なさを残す。
いやいや。そんな気持ちじゃぜんぜんなかったのよ、と
あっちゃんは言うかもしれないが、それは僕の勝手な想像だから
間違っていたとしても許してください。
還暦を超えると若いころの思い込みを訂正するのがいささか困難となる。

腹膜炎から退院したのは4月下旬だったからゆうに2ヵ月は入院していたわけだ。
桜の花開く頃、僕はベッドから起き上がることができず、
その年は見ることはできなかった。
ベッド頭上の窓の外、数百メートル先の丘の斜面は桜の名所だったというのに。
それまでときどき学校に行かず横になって寝ていたいな、と思うことがあった。
でもぜったいそんな夢想をするものではないと後悔した。
だって、こうして現実になってしまうことがあるんだから。

僕は今夜、Netflixで「The Beatles〜EIGHT DAYS A WEEK」を観た。
あっちゃんはいまどうしているだろう。
いまでもビートルズを聴くことはあるだろうか。

 

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