来年もよいお年を、の微妙な「も」に願いを込めて

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12月30日。いよいよ今年も押し詰まってまいりました。

私事となりますが、今年は夏の終わりに脳梗塞を患いました。幸い大過に見舞われるまでには及びませんでしたが、原因に糖尿病が疑われ(いやほぼ糖尿病)、直前には毎日のように3合近く呑んでいた25度甲類焼酎を大幅にペースダウン、毎日5個ほど庭からもいでは食べていた甘柿の反省から糖分・糖質を極力抑えるように心がけ、とにかく摂生に摂生を重ね本日に至ることとなりました。

まったくやれやれな半年だったわけですが、貴方様はいかがお過ごしでありましたでしょうか。

今年は新型コロナ禍のなか東京オリンピックが開催されました。そのほかいろいろと出来事を書き連ねてみましたが、読み返すのも嫌になるほどの日本と世界の社会情勢及び巷間の人間模様ばかりが並び、嫌気が差すばかりの状況にぜんぶ削除することになるなどこちらもどうにもさっぱりしません。

そんな不遇な年の瀬を迎えている折り、それでも例年どおりお歳暮を携えご来宅くださるお客さまが何人かいらっしゃり、お会いするたびに最後に「来年もよいお年をお迎えください」の型どおりのご挨拶を交わし別れるのでありました。

さて、さっきふと思ったのですが、僕はともかく、相手様の本年が「よい年で」あったのか、さっぱりわからないにも関わらず、この「来年も」はなにゆえの発言なのでありましょう。きっと相手様も私の脳梗塞など知る由もなく、とりあえずの「来年も」に至っていることは重々承知ノスケなのであります。

さて、さて、「も」。なぜこうも易々と「おめでた見舞い」が交わされるのか。

これはきっと今ここに生き、挨拶しているだけでも福寿ではなかろうかの言わずもがなの共通認識が作用しているのであろうと思われます。そういえばさっき「幸い大過に見舞われるまでには」と記す自分がありまして、まあ幸いに恵まれ今ここに生きているわけです。

おかげさまをもちまして倒れた直後には本来4.6~6.2であるべきHbA1cの数値が8.4と跳ね上がっておりましたところ、ようやく6.8まで下げることに成功し、年明けの検査では基準値内に収めてやろうやないやんけワレー!と血の気を沸き立たせているところであります。さんざんであったとはいえ、なるほど結局今年もこうしてよい年で終わろうとしていると認めざるを得ません。

貴方様もどうか「来年もよいお年を」。このメッセージが届けば、それを受け取るほどにはお元気であり、それでもう貴方様も結局よい1年であったことの証でございます。

もしかしたら益々辛い日々が待っているのかも知れません。くじけそうになることもあるでしょう。それでも気の合う誰かと話をし、あるいは気の合う歌に耳を傾け、お風呂に入って、温かいものでお腹を満たせば、なんとなくホッとするものです。それでいい。それしかなくても、それでいい。できる範囲で、やりたいことを。来年も精いっぱい生きてやろうじゃありませんか。

なあ僕よ。

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