家族で夕飯を食べているとき、我がつれあいは自分でこしらえたおかずを差し置き、わざわざ冷蔵庫から納豆を取り出し、新しいおかずとして食事を進めることがよくあった。
「食べる?」と聞かれたが、せっかくメインの美味しいおかずがあるのに、朝食のような納豆ご飯を食べる気にはまったくなれず、いつも断っていた。
「あら、美味しいのに」と残念がるが「いや、あんたの作ってくれたおかずのほうが断然美味しいよ」とよくこころのなかでつぶやいたものだ。
納豆は嫌いではない。でもどうせ食べるなら、辛子をたっぷり効かせ、刻んだ長ネギを入れ、たまごを溶き、醤油しっかり目でいただきたい。「これから納豆を食べるのだ」とご飯と納豆と正面から向き合って正々堂々といただきたいのだ。
たとえばせっかくサバの味噌煮があったり、鶏のから揚げがあったりしたときに、ごはんがお茶碗半分というときにいきなり「ハイ、ここから先は納豆ね」なんて気分にはとうていなれるもんではなかった。
それが…。なれた…。
ここ1年半、つれあいや娘と離れ、実家で母の面倒を見ている。朝昼晩と食事の用意は僕の仕事だ。
それをやってみて、ようやくわかった。「納豆を食べるそのこころは~」が。
つまり自分でおかずを作っているともうそのおかずは出来上がった頃にはおなかいっぱいなのだ。テーブルに並べた時点ですでにごちそうさまになっているのだ。
ああ、もうあきあき。これって2~3週間前に作らなかった? いや先週作ってるかもしれない。なんてバリエーションが少ないの私。そうじゃないですか。奥さん。
そこで、思わぬ自己嫌悪に見舞われた僕は、納豆へと逃避行した。
「たとえ作れるおかずの種類が少なくても、世の中にはこんなにかんたん便利格安なおかずが控えているのだから、ぜーんぜん心配いりませんことよ」な言い訳が天から舞い降り、僕を救ってくれるのだった。
昨夜のおかずはイオンのデミグラハンバーグだった。パックをそのまま4分湯煎すればいいだけの手抜き。かろうじてキャベツを千切りにし、ミニトマトを添え、えのきの味噌汁を作ったものの、味噌汁といっても顆粒のかつおだしとマルコメの味噌で味付けしただけ。本当にかんたんなものだった。
だからか、春だというのに北風吹きすさぶ夕食の終着駅で、僕はハンバーグがまだ3分の1残っているのにも関わらず、冷蔵庫に向かい納豆とからし、たまご、醤油を抱え戻り、残りご飯に直接ぶっかけたのだった。だってほかの容器を納豆のネバネバで汚したくなかったから。洗い物を増やすのが面倒だったから。
僕は納豆たまごをズルズルやりながら、しばし幼児のごとく天国を走り回った。