民族学者である和歌森太郎氏は著書「花と日本人」で柳田國男を引用し、南国から北国への長い移住の歴史のなかで、祖先たちが手に携えていたのは武器や農具、作物の種だけではなく椿の実や枝も含まれていたはず、としています。
雪の深い東北で、暖かい春の到来を信じるよすがとなったのが、緑濃い椿の葉と、ぼってりふくよかな生命あふれる花ではなかったか、という発想には説得力があります。木に春と書いて「椿」。なるほどそのいわれがわかるような気がします。
椿は根付きのよい木ではないそうです。それでも幾多の人々が繰り返し育てようと試みた結果が、東北各地にいまある椿の名所だということです。
氏はある伝承を紹介しています。
海運の船頭と村の娘が恋仲となる。ある日、船頭は西へ行くこととなり、娘は髪油にしたいからと椿の実をみやげに願う。しかし、1年、2年待っても船頭は戻ってこない。遊ばれただけだったのか、と娘は思い悩み、苦しみのあまり、とうとう海に身を投げてしまいます。
しかし3年目、船頭は山積みの椿の実とともに港へと帰ってきたのでした。
娘の死を知った船頭は悲しみ、墓の周囲に持ち帰った椿の実を撒きます。そこは春になると椿の花で覆われるようになり、いつしか「椿山」と呼ばれるようになりました。
青森の津軽半島と下北半島に挟まれた陸奥湾の南。東田沢という地に伝わる悲恋の物語です。
参考:「花と日本人」和歌森太郎 角川文庫(絶版)