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通学路

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小学生の頃、学校は丘を一つ越えた反対側にあった。

村の児童は雑木林に挟まれた細い農道を通学路としていた。

朝は集団登校なのでへっちゃらなのだが、放課後遅くなってしまってからの下校はちょっと恐ろしかった。

八幡神社の裏手は暗い木陰のなかに大きな忠魂碑が立ち、首吊りの多いことで知られていた。一人で帰らなければならないときは、なるべく何も見ないよう薄目で走り抜けたものだ。

通学路にはほかにも怖い場所があった。

丘の上に広がる畑の隅に数本の山桜が並んでいた。まだ坂口安吾も梶井基次郎も知らなかったが、満開の時期には、その溢れすぎる精気に気圧され、つい足早になってしまった。

また雑木林のうす暗い土手には1本の椿があった。冬になるといつの間にか真紅の花をつけ、それはある日、着物をはだけた狂女となり僕を見下した。枯れた季節に似合わない鮮やかすぎる花もまた圧倒的な生命力で僕を怖気づかせるのだった。

通学路は、その後近くに開通した新道へとその役目を譲った。丘の上の畑を利用する者はこちらの村にはなく、農道を使う人はもういないはずだ。

首吊りの木は、満開の山桜は、狂女の椿は、いまもあの場所に立っているのだろうか。確かめに行ってみたいが、すでに時を失ってしまったようだ。

いまさら見届けてどうするのだと問われれば、ただの郷愁に過ぎない。でもひとは郷愁が糧となるときもあるのだ。

 

 

 

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