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フルサト

むかし古いお堂のあったところ

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家族に頼まれ祖母をお堂に呼びに行く。閉め立てられた雨戸の節穴から覗くと、薄暗い部屋のなか、老婆たちが車座になり念仏を唱えている。じゃらじゃらと音がするので目を凝らすと、全員の膝の上に黒光りした玉が載っていた。右から左へとリズミカルに移動する、赤ん坊の頭くらいある玉。それは巨大な数珠であり、生きた大蛇のように巧みに回っていた。

いまではすっかりすたれてしまったが、それは「講」と呼ばれる村人の寄り合い行事のひとつだった。

当時はさまざまな「講」が組まれていた。覚えているものには念仏を唱える「八日講」、妙齢の女性たちの「観音講」、小さな子をもつ母親たちの「子安講」などが、また何をしていたのかわからず名だけが耳に残る「恵比須講」「稲荷講」「竈神(こうじん)?庚申(こうしん)?講」などがあった。そうした「講」の集合場所がお堂だった。

話は脱線するが、さらに古く、祖父が若い時代には「月待講」というのもあったそうだ。毎年9月の十三夜に村の丘の頂上にある祠の前に青年たちが集まり、酒肴をいただきながら、月の出を待つ。ときに語り合い、ときに相撲で力比べをしたりと、なんとも風流な行事だったらしい。

お堂の前には間口8m、奥行き15mほどの庭があり、その脇には出羽三山信仰の石碑がそびえていた。

また、お堂が立つ以前は村の共同墓地だったということで、反対側の脇に押しやられた先祖の墓が隣地との境界をつくっていた。神と仏が一堂に会した奇妙な場所だった。

ちなみにお堂はその呼び名からてっきり寺院だと思っていたが、そうではない。子どものころその理由をなんども親にきいたがわからず、そのままにしてあったことを思い出した。いま国語辞典を引いて知る。「堂」には人が集まる場所という意味もあるとのことだ。文字通りそこはむかしから「集会所」の目的で存在していたわけである。

お堂は大人たちだけでなく、遊び盛りの子どもにとっても重要な場所だった。農閑期の田んぼをのぞけば、広場といえる場所はそこだけである。自然と子どもたちが集まった。

そんな子供たちをねらい、ときにテキ屋のようなおじちゃんがやってくることもあった。10円を支払うと固いガムの板を渡される。彫られた溝のとおりきれいに抜くと50円や100円がもらえる。型の難度によって、その代金と倍率は上がる。たいてい失敗するのだが、ひとり成功者をつくると僕らの射幸心はあおられ、またつぎのチャレンジにおこづかいをつぎ込んでしまうのだった。しかしおじちゃんは熱くなった僕らには難癖をつけ、頑として成功を認めないのが常だった。

誰かと遊べるかもしれない、型抜きのおじちゃんがきてるかもしれない、そこは子どもたちにとってテーマパークのようなところだった。

僕たちはお堂の庭で缶けりや陣取りをして遊んだ。女の子たちはよくゴム飛びや石けりをしていた。そしてときに合流し、みんなで陣とりやゴム飛びをすることもあった。

陣取りの指揮をし大勝してみせるあんちゃんがいた。倒立して片足でゴムをひっかけブリッジで反対側に抜けるという華麗な技を見せるおねえちゃんがいた。ファンタジスタは男女の別なくいた。

子どもが集まる場所ということでケンカもあった。広場の真んなかで、体格も年齢も上の番長に、ぜったいに敵わないのに何度も倒され、砂ぼこりにまみれながら立ち向かったあんちゃんがいた。勇気ある男の最初の見本として、僕はときどきそのシーンを思い出す。大人になったあんちゃんといまも顔をあわせるが、どこか畏敬の念がわきあがるのだった。

いつのことだろう古いお堂は壊され、ガラス戸で囲まれた明るい集会所が新築された。

しかしそのころにはもう庭で遊ぶ子どもは少なくなっていた。村の子どもの数が減っていたのがおもな理由だが、それ以外にも自転車の普及が影響していたように思う。ひとりが1台、自転車を持つようになった僕らの行動範囲はいっきに広がり、走ることが遊びになっていた。モータリゼーションが街の賑わいを変貌させたように、自転車は子どもの遊び場を変えた。

集会所には大人たちのひまつぶし用に将棋の駒と盤が1セット置かれていた。たまにそれを引っ張り出して遊ぶくらいが、集会所にいく理由だった。

それより以前のことだったと思うが、集会所には、誰が忘れたのか、あるいは寄贈したのか1冊の本が転がっていた。それは人間が宇宙人にさらわれるSFで、挿絵には奇妙なタイツを着たピエロのような男がひとり描かれていた。そのタイツの模様はトランプのダイヤのマークが緑と黄色のチェックになったものだった。過ぎた奇抜は小さな心にトラウマを与える。僕は度肝を抜かれ、すっかりおびえてしまった。おかしな話だが、そんな過去の記憶も足が遠ざかる理由だったのかもしれない。

ある日、僕らは素晴らしいアトラクションを集会所に発見する。折り畳み式の新品の卓球台が置かれていたのだ。

狭い板張りの部屋に広げると後ろが2mもとれないほど窮屈だったが、僕らは卓球に夢中になった。とくにみっつかよっつ年下のある男の子とは学校から帰ると毎日卓球ばかりして遊んだ時期があった。

その子は中学生になると卓球部のキャプテンとなり、町の大会で優勝する。そのとき彼は僕の名を挙げ「教えてもらったおかげ」と自分の母に告げたそうだ。それは素直にうれしい出来事だった。

僕の息子は早生まれで体が小さかったせいか当時流行りのサッカークラブであまり活躍できなかった。そこである日、近所の卓球場に連れていき、いっしょに遊んだことがある。もちろんあのときの経験則があったからだ。ある日、息子はどうせ補欠のサッカーの試合をサボり飛び込みで出場した卓球大会で優勝してしまう。そして高校卓球部のキャプテンとなる。

たったひとつでもいい、ひとは自信を持つと自分の力で道を拓きだす。それを年下の少年から学んだ僕は、子育てで再現しようとした。

あるひとつの場所が、ひとりの人間に長く影響を与え、そのうちのいくつかの出来事が契機となり、その人となりをつくっていく。むかし古いお堂のあったところで、僕はたいせつなことを学んだのだと思っている。

 

 

 

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