花の種が捨てられない

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花の種が捨てられません。

お店でいただいたり、チラシに添付されていたり、宝くじを買ったらついていたり、そんな失礼とは存じながら、どうでもよいお気持ちばかりの花の種を、いつか撒く日が来るだろうと、ずっととってありました。

hananotane


あるものには「第一勧業銀行」と書かれており、少なくとも20年以上保管していたことになります。記憶では20歳代の頃から、とっているので40年近く古いものもあるはずです。結婚した当初はアパート住まいでしたから、種を撒く場所はなく、かといって持家を建ててもそんなに広い庭はなく、なんとなく引き出しの奥に溜まっていきました。

僕が初めて自分の花壇を持ったのはたしか13歳のときです。実家の広い庭の一角に小さなスペースをもらい、そこにアネモネなどの種を撒き咲かせていました。

さらに遡れば小学3年生のとき担任となった男先生の花づくりを手伝ったのが影響しているのかもしれません。先生は放課後校舎の裏で学校の花壇に植える花々の苗を育てていました。僕はよくその手伝いに誘われ、いっしょに土いじりをしていました。火鉢の上にフライパンを乗せ、根の残った古い土を焼き、再生させるという「マイクロ焼き畑」の技を教えてもらったりしました。

そうそう当時の里山の通学路にはヤマユリがたくさん咲き、その根を掘って(今思えば盗んで)きては家の花壇に植え、翌夏20輪以上もの花を咲かせ家族によろこばれたこともありました。

そうしたおかげかどうかは知りませんが、観葉植物をうまく育てられるよう(たとえばsorayoriで紹介のポインセチア)にもなりました。

あなたはピーター・セラーズ主演の「チャンス」という映画をご存じでしょうか。純真な庭師がただ真面目に樹木の生について語り、それを暗示と受け取ったひとびとからつぎつぎ評価されていくというコメディで、その善性に満ちたストーリーに僕はとてもこころを惹かれます。花の種を捨てられないというのは、たぶんこうした性格が大きく作用しているのでしょう。

先日、実家の庭に打ち捨てられていた小さな松の切り株を掘り起こしました。そしてその周辺を耕し、とっておいた花の種の一部を撒きました。

僕の人生に、いよいよ花の種たちが活躍する時代がやってきました。

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