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早世した子の名をもらう

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東京オリンピックの夏、僕は祖母の実家にいました。何気ない出来事ことですが繰り返し再生される記憶があります。

スイカを口いっぱいに頬張り、座敷を走って横切ると、きれいに掃き整えられた玄関先に勢いよく種を吹き飛ばす。孫の好き放題にさすがの祖母もバツが悪かったのか「ほらアベベだよ」とテレビに注意を向けさせようとしますが、調子に乗った僕はなかなかやめない。家の人たちは皆笑いながらやさしく見守ってくれていました。

その家にはひと回り以上歳上の兄弟が4人いました。レコードでビートルズを聴いたり、川で魚を釣ったり、洋画雑誌を見たり、人生で初めて、のいくつかはその兄ちゃんたちが体験させてくれました。

数十年後、たしか大叔父の法事のときです。座敷でお茶を飲みくつろいでいると、上から三番目の兄ちゃん(従叔父)が、ふと、僕に話しかけてきます。

「お前は俺たちのアニキの名前を継いだんだものなあ」

初耳でした。きょとんとしていると「おや知らなかったか」と仏壇の奥から古い位牌を取り出し見せてくれました。

じつは4人兄弟には生後3か月で肺炎で亡くなった長兄がいたのでした。僕が生まれたとき、その家から嫁いだ祖母が家長となった仲のよい弟を思い、その名前をもらったそうです。

昔は早くにして亡くなった子の名前を親類で受け継ぐということがよくあったそうです。生きられなかった命を受け継ぎ、丈夫に育つという習わしがありました。祖父ものん気なもので「あっちには合わなかったが、うちには合うかもしれない」と受け入れたそうです。

僕の記憶では、祖父の知人の立派な方が命名してくれたことになっていましたから、相当戸惑いましたが、やがて少しうれしい心持ちさえし、むしろよかったと納得しました。

小学生の頃までロート胸で、肺も胃も腸も弱い子でしたから、果たして丈夫に育つという風習はあっていたのか、はなはだ疑問ですが、祖母の実家ではとにかく可愛がられた記憶しかなく、それはとても幸福なことであり、なんとなくありがたいことだったなと思ったのです。

祖母の実家には当時、くちなしの植え込みがありました。いまも白い芳しい香りの花がどこか懐かしいのは、僕の中にある「アニキ」の郷愁なのかもしれません。

 

 

 

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