息子の嫁さんのご実家に筍を送った。
実家にひとり戻り母の世話をするようになって2回目の春。昨年は諸々やらなくてはならないことが重なりそれどころではなかったが、すべてが解消された今年、初めてのご贈答である。
所有する竹林は斜面にあり、筍を掘り出すのはやや骨の折れる仕事だが、親類などに配り喜ばれるのを想像すると、まあ、それだけの価値はあると思える。もちろん僕と母の食卓に並ぶ旬の幸(今年は味噌汁、パスタ、筍ごはん、ラーメン、煮物の具に)であるわけだから、掘らないでか、という自負もある。
さて、午後に掘った筍を宅配の翌日午前便に乗せるべく郵便局に持ち込むと、3時45分、すでに集荷のトラックが出てしまい明日の配達は無理だという。なるほどそうした事情があることを昔仕事で納品物を発送する際に学んでいたが、うっかり忘れてしまっていた。
そこで急遽、宅配便の配送センターにお願いすることにした。窓口はたいへんな混雑。みなさん、筍の発送である。シーズン真っ盛りというわけだ。
翌日、午後になっても嫁さんの実家から特段の報せは入らない。住所や電話番号はつれあいと息子の嫁さんにLINEで確認してあるので誤配はあり得ない。まあ、ご夫婦おふたりの住まいなのだから、お出かけということもあるだろう。発送の連絡も入れていないので仕方ない。
しかし夜になっても「届いた」の報せは入らない。念のためつれあいに「そちらに連絡はあったか」と尋ねてみたが「ない」とのこと。2世帯住宅で同居する「〇〇ちゃん(お嫁さん)に聞いてみようか」と提案されたが、それは自分があまりに狭量に思え聞かないでおいてもらった。
自分は「中元歳暮などにお礼の品など返さなくてよい。文句があるなら贈ってこなければよいのだ」と喧伝しておきなが、なんとも浅ましい本性に少し凹んだのは、ここだけの話、事実だ。うちの親類辺りでは「ありがとう」の電話を入れるのが常だが、東京住まいの団塊世代のご夫婦はその辺りはクールなのだろうと無理くり納得することにした。
それから3日後、実家の郵便受けにはがきが入っていた。送り主を確かめると嫁さんのご実家のご主人である。なんと礼状を送ってこられた。さっそくつれあいに写メを送ると「好物の筍、と書かれている辺りお気遣いも半端ない」の指摘。「あなたも何かお手紙を箱に同封すればよかったのに」と配慮の足りなさを諫められる。それはたしかにふと思ったが面倒が先を越し手を抜いてしまった。つれあいからは「そこ、な」のお叱り。やはり、社会経験の違いが老境のこんな部分で露呈されるのかと思い知る。
はがきの文面の最後に「内」とある。何の意味だろうと調べると「主人に代わり家内が書きました」の印だそうだ。さすが茶道の師範である奥様ならではの所作である。これをつれあいに確認すると「そんなことも知らなかったの?あんな文章ご主人が書くわけないでしょ」とたしなめられた。
たくさん採れたぞ祭りだ祭りだ、とサブちゃん気分で浮かれていた僕は、筍のほろ苦さを思わぬところで味わう春だった。