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母の菜園から

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hahanosaien

 

実家の庭先に20坪ほどの家庭菜園がある。

亡くなった父が撮影した25年前の写真を見ると菊が咲き誇っていた。

さらに十数年遡ると、そこで祖父が倒れた。脳梗塞を起こし、立ち上がろうとしたのか菊の根元を握っていたという。

僕が子どもの頃、そこを含む一帯は広い田で畝にはユスラウメの木が並んでいた。なんでも食べ過ぎる僕はその実で疫痢に掛かったことがある。

土地に歴史あり。長く生きると何にでも愛着が沸く。

その土地が菜園になったのは母が実家でひとりとなってからである。珍しい野菜が好きで、横の路を通る友人から「それは何?」と尋ねられるのを喜びとしていた。

つれあいが先日八百屋さんでフラクタルがおもしろいカリフラワー「ロマネスコ」を買ってきた。それを手に取り「初めて食べたのはお母さんからいただいたもの。モロヘイヤもそうだったよね」と懐かしむ。

数年前までは帰ると園芸店に車で連れて行ってくれと頼まれたものだが、いまはすっかり気力を失い、菜園の光景は寂しいかぎりだ。

いま、そこには二畝のネギがある。昨年は大根も植えていたそうだがとてもじゃないが食べきれず、もったいないのでやめたという。ネギは秋から冬の長い期間食べられる品種だそうで少人数の家庭でも余すことなくいただける。ひなびた株ながら、おかげで畑らしさを保ってくれている。

運動のため散歩を勧めるがいっこうに動こうとしないので、ネギのおろぬきは母に頼むことにしている。しかしおっくうなのか、あさって頃になってようやく台所にそろう始末だ。

今夜は子持ちカレイの煮つけ。焼きネギを添えようと思う。しかしあいにくの北風である。当てにならない母はあきらめ今回は自分で採ってくることにした。

1株の根のかたまりに十数本のネギがついてくる。これを外の水道で洗い、皮をはぎ、包丁で根を切る。

下処理をすべて終え、残った根や皮を片付けようとしたら、小さなネギが1本紛れていた。ええい、ゴミにしてしまえ、と思ったが、ふと情が沸き起こる。

小さいとはいえ、おろぬかれた以上は食べてもらうのがネギの本懐。無駄死にさせるのはいかがなものかと、そっと拾い上げ、皮をむき、根を切り取った。

包丁の上にあるこの小ネギ。カレイが煮あがったら特等席に据えよう。

 

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