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お寺さんのことお墓のこと

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お寺さんより今年もお盆の棚経の案内が届きました。僧侶が訪問できる期日、およその時刻を知らせるものです。

棚経のみに対するお布施は昨年まで「5000円」でした。それが今回から「5000円~」となりました。記号ひとつの追加ですが、コロナ不況下のご心情を十分推し量ることができます。

感染予防に配慮し、僧侶はマスクを着用する旨断り書きが添えられていました。さらに希望であれば棚経の中止に応じるとのこと。お盆の後に控える施餓鬼会も今年は参列者なし、お坊さんのみで開催するそうです。長いお寺さんの歴史でこんなことは初めてなのではないでしょうか。菩提寺との関係も今後様変わりしそうです。

わが家の先祖とされるお墓はお寺さんの境内の横にあります。長い間、境内だと思っていたのですが、住職によると村の共同管理地であり、そうではないとのことでした。なので正式な菩提寺かといえば微妙なところで、ただし仏事のすべてはこちらにお願いしているので、そう判断しているところです。

ここを先祖とする家は村に2件あり、先代同士はどちらがこの村の本家であるかと争っていたそうです。歴史をひも解くとこの地を開墾した2件であったそうですが、いまとなってはどちらが本家であろうが、どうでもよいことです。

一方仏壇の位牌から知ることのできる範囲の者たちのお墓は別の場所にあると思われます。

お寺さんが一度火事に遭っており、古い過去帳は消失してしまいました。そのため歴史をたどれるのは位牌のみです。最も古い位牌には宝永三年とあるので西暦にすると1706年。戒名六字の信女でした。その34年後に院号付きの九字の戒名の者が亡くなっています。父であったか、夫であったか、哀しみを抱えながらも生を全うした人物であったことが伺えます。

ただどの墓石がその者たちであるのか、薄い板切れ1枚のたくさんの位牌と数が合わず、さらに石が古く年号を読み取れないため照合することは不可能です。もしかしたらこの者たちこそお寺さんの横のご先祖様かもしれません。

位牌の者たちの墓所は山の中腹にあり急峻な石段を登らなくてはたどりつけません。親類の年寄りたちは墓前へのお参りをはなから諦めており、お盆であっても仏壇のみのご挨拶です。

「山の中腹」はもうひとつ問題を抱えています。それはこの異常気象の時代、数十年に一度あるかないかの豪雨に度重なり見舞われ、土がむき出しとなっている付近は水流によって確実に削り取られています。数十年前にコンクリートの通路や排水構を整備しましたが、その根元がえぐられている状態です。大規模な補修工事を行わない限り、がけ崩れを引き起こしかねません。

 

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こちらはお墓への通路。今年3月、斜面上からの水の流れを食い止めるため一人で竹の柵を設けたものです。

 

そこで母と妹に了解を得て墓所の移転を考えています。

ただそれはそれで問題があるのです。

じつは菩提寺も霊園を経営しており、目下絶賛売出中。先祖代々お世話になってきたお寺さんなのだから、そこにすればよいのでしょうが、そうもいかない事情があります。

息子、孫の代に果たして実家に住む者がいるのか、という問題です。

僕は高校生くらいまで実家で暮らしていたので、この地に縁があります。つれあいは微妙なところですが、もう30年以上のおつきあいなので、まあ、僕とお墓を共にすることへの理解は多少あると期待しています。ただし息子となるともうまったく実家の地に縁がありません。現在二世帯住宅として僕の妻と同居している東京の家が彼の生涯の住まいとなるでしょう。

早ければ息子の代、遅くともひ孫の代となれば実家の土地を処分し、墓所を東京近郊に移転することが予想されます。

そうなった際、檀家を外れることは必至です。ならば僕の代でより外れやすいように菩提寺とは関係のない場所にお墓を移しておく必要があるのではないか。ただし、ご存命の親類縁者たちを無視していきなり遠方というわけにもいかず、とりあえず近隣の霊園に、というのがいまの僕の考えです。

今年もあと1ヵ月ちょっとでお盆。年を重ねるにつれ長男の苦悩は増すばかりです。

 

 

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