たぶんあれは息子と二人きりで初めて散歩に出掛けたときのことだったと思います。近所の公園の池は水を抜き取る“かいぼり”の最中で、ほとんど干上がっていました。僕はベビーカーに乗った息子に排水の仕組みを説明しました。遠くの水たまりでポンプが水を吸い取っています。鮮やかな青いホースが池の淵を縫うように走り、目の前で水が勢いよく池の外に吐き出されています。僕はそれらが「つながっている」ことを教え「すごいね」と感嘆してみせました。なんでそうしたのかは覚えていません。ただこの世界の不思議に気づいてほしかったのかもしれません。
その“啓示”の効果は目覚ましく、彼はしばらく世界の「つながり」を発見しまくりました。
アパートの窓の外では電線が電柱のあいだをつながり、やがて建物につながり、部屋のコンセントからテレビにつながります。掃除機をかければつながっているし、アイロンをかければつながっている、部屋の電灯のひもを引けばつながっている。そのつど「つなあってる(つながっている)」と指をさし、それを外の電線から説明しろとせがみました。後に連れ合いは「気が狂いそうだった」と述懐します。
さて、この絵本。山崎英介/作「くろいとんかち」福音館書店は、そんな「つながり」に異常な興味を示した息子がお気に入りだったものです。
物語はおばあちゃんの家で留守番をすることになった男の子が納屋でくろいとんかちを見つけたところから始まります。おもしろいことにそのとんかちは叩いたものをなんでも黒くしてしまいます。家にあるさまざまなものをつぎつぎと黒くしていった男の子は、ひょんなことから失敗をしでかします。自分のあたまを叩いてしまったのです。さてどうするか。物語は新たな局面へと展開し、いたずらっ子にとってはこれ以上ない見事なエンディングへと畳みかけるように進みます。
息子はこの痛快な物語に、青いホースや電線・電気コードと同じ「つながり」の醍醐味を感じたのかもしれません。
すべての物語(出来事)には始まりがあります。そして紆余曲折があり、一つの結果へとたどりつく。この絵本では出来事のつながりがシンプルで明快です。その気持ちよさがきっと彼のハートをつかんだのでしょう。
いま息子は初めての子(娘)を授かり、可愛くてしようがないとLINEで写真を送ってきます。彼は彼女に、この世界の何をまず知ってほしいと思うのでしょう。与り知らぬことであり、尋ねるべきことではありませんが、ちょっと興味があります。