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「エラい」という言葉の名誉と、僕の自由のために

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漫画家さわぐちけいすけ氏のツイートが話題です。

「結婚している人はエラい 子どもがいればもっとエラい」という社会の風潮に一石を投じています。おっしゃっていることはとてもまっとうで共感できます。無意識に「エラい」を使うのはやめてほしい。自覚をもって使ってほしいとたしかに思います。

ここには、そもそも「エラい」という言葉の解釈について、使うほうも受け取るほうも誤解があるようなので、対岸から別の一石を投じさせていただきます。

このままでは「エラい」という言葉が使いづらくなりそうで、たとえば法事の席で「え、子どもが3人もいるの? エラいねえ」と姪に声を掛けたら、辺りのおばさんたちに「いまは『エラい』って言っちゃダメなんだよ」と諭されるなんて事態になりかねないからです。「いやいやそういう意味じゃなくて」といちいち言い訳するのも生きづらい話ですからね。

ディストピア小説「1984年」じゃないけれど、言葉狩りなんてまっぴらごめんです。

 

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さて、「エラい」は漢字で「偉い」と書きます。三省堂の「大辞林」によるとその意味の筆頭には

人物や行動などが普通の人よりはるかにすぐれているさま。偉大だ。

とあります。そしていくつかの意味が示された後、最後に

身体全体がつらい。苦しい。

が挙げられています。

つまり「エラい」はすぐれているけど、苦しいことでもあるのです。そこで「エラい」をねぎらいの言葉として解釈したらどうでしょう。

「結婚している人は(相手に合わせて暮らすって意外とたいへんだよね。相手の両親や親戚づきあいなどもいろいろ面倒がついてくるし。そんな苦しみを背負って生きるのは大変でしょう?)エラいねえ」

「子どものいる人は(育児っていろいろ世話のかかるものだよね。こころもからだもクタクタだよね。本当にお疲れさま)エラいねえ」

「エラい」を「苦しい・苦しかった」に置き換えてみてください。「結婚している人はエラい 子どもがいればもっとエラい」。見える世界がまったく異なるはずです。

結婚情報誌ゼクシィのCMで花嫁さんが「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」と宣言します。そうなんです。一人でも幸せになれる時代にあえてもろもろの苦労を背負う、それほどあなたが好き!という気概が素敵なんです。

これから結婚する人、これから子どもを授かろうという人へ。あなたはこれから「エラい目」に会うでしょう。でもそれは悪いことではありません。僕も経験し、いまはよかったと思うことがたくさんあるからです。

だからねぎらいや応援の言葉として、あなたに声を掛けたい。「エラいね」と。

 

 

 

 

 

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