記事一覧掲載の画像はphoto by Lindsey K / Pexels
「熱いお風呂に入ると日本人でよかったと思うけど、アメリカ人、ドイツ人のそれは何だろう?」。そんなツイートが僕のタイムラインに流れてきた。
「熱いお風呂」以外にも「美味しいマグロの握り」「初めて入った小さな定食屋さんの美味しいかつ丼」「甘すぎずちょうどいい塩梅のあんこが香り豊かな葉で包まれた桜餅」…たとえばそんなものに出会ったとき僕はとても幸福な気分になる。だがしかし実際のところ「日本人でよかった」とまでは思わない。そもそもそんな切り口で日常の幸せを評価・分析したりしていない。
では「日本人でよかった」という常套句は何だろう。
こうした表現を日記に綴ったりするだろうか。たぶんないのではないか。「気持ちよかった」「美味しかった」で十分その状況を記録できる。
「日本人でよかった」は誰かの共感を得るための前置き言葉ではないだろうか。「ほらあなたも日本人だから、この良さわかるでしょ?」という“独り言”を装ったある意味同意のリクエストのような機能があるように思う。もっと言えば日本人の傾向とされる同調圧力が込められてはいないか。
さてそんな前置きで他の国の「〇〇人でよかった」を考えてみたい。
僕が想定する「アメリカ人でよかった」は「甘くて美味しいドーナツをたらふくいただいたとき」「焼きたての分厚いステーキをいただいたとき」などであるが、その知識はハリウッド映画で焼き付けられたイメージでしかなく、きっともっと多様な「アメリカ人でよかった」があるはずと思う。いやもしかしたらアメリカ人はそもそも「アメリカ人でよかった」なんて発想は持ち合わせていないかもしれない。だって多様性の国だから。
では、である。ドイツ人の場合はどうだろう。さらに知識の乏しい僕は「肉汁たっぷりのソーセージ」「切れ味のよい包丁」くらいしか思いつかない。しかしアメリカ人と異なりもしかしたら日本人のように「ドイツ人でよかった」という切り口はあるかもしれない。誇り高き民族として自らを鼓舞するような言い回しとして。
ん?「日本人でよかった」は同調圧力と感じたのに、「ドイツ人でよかった」が民族魂へと変化したのはなぜだ。う~ん、ドイツ人の本当のところを知りたい。