昔、一人の僧がいた。岩と砂の大地を西へ、西へと歩いていた。
腹の底をえぐるようなひもじさと酷暑極寒の鞭打つような痛み、森や夜の闇に潜む獣と幻影の恐怖に耐え、ただ前へ。まるで生と死の淵を彷徨うような旅を、僧は至上の修行と心得、一つ息の幸福を頼りに生きていた。
乾いた砂埃が舞い上がる村では、薄暗いあずまやに飢えた子が狼の目を光らせ静かに佇んでいた。その横には母と思しき女が横たわり蠅がたかるに任せている。僧は一握りの豆を腰の袋から取り出すと、子に手を広げさせ乗せる。そして経を唱えた。横たわる女から漂う異臭に一瞬心が乱され、念が飛ぶ。僧は、果てしない旅の覚悟を背にあずまやを出た。
商人の大きな荷車が行き交い、人びとの喧騒が渦巻く街に入ると、通り端に砂を被った躯が一つあった。かつては仏門の徒であったのだろう。袈裟と思しき布切れが腰のあたりに見えた。僧はぶつかる通行人によろけながら、手を合わせ経を唱えた。通りの反対側に目を向ければ、そこにも小さな躯が一つ。通りの先の左右にもいくつかの躯が雑踏の隙間に見えた。誰一人として救えぬ己の無力さに息をすることさえ忘れる絶望を感じた。
幾日もの修行の末に、僧は金色の仏像が輝く寺にたどり着いた。天上世界を演出すべく、色とりどりの布がはためき、甘い霞を漂わせる香が焚かれていた。
巡礼の代表に選ばれ村から派遣されたのであろう。たくさんの男どもが物見遊山のていで辺りを行き交う。
年かさの者が連れに言う。
「あの仏様はぜんぶ金でできていると思うだろう。そんなことをしてみろ、俺たちの積んだ布施くらいじゃとても足りなくて、身ぐるみはがされちまうところだ。あれは箔という薄く伸ばした金を貼ってあるんだ。金は石のなかでも極上で貴重なものだ。大きな山を掘って、掘って、どんどん掘っていき、底のほうでやっとわずかばかりの金が採れるんだからな。地獄からかすめ取ってきたお宝で飾られた像をありがたく拝むってんだから、俺たちもおめでたいものだ」
僧はその夜、坊で不思議な夢を見る。
砂漠の岩陰で寝ていると、西の方角から、自分そっくりな僧がやってくる。そしてお前の進む先は水の世界で行き止まりになる、と告げる。また北の方角から、自分そっくりな僧がやってきて、同じことを告げる。南の方角からやってきた者もまた同じだった。最後に自分が歩いてきた東の方角から「おまえの子」だと名乗る老いた僧がやってきた。女と交わることなど滅相もないことだが、老僧はそんなことなどお構いなく「東に戻ることはならない」と告げた。東に向かったところで、その果ては同じ水の世界で行き止まりだと、悲しそうにほほ笑むのだった。
どちらに行っても水で止められるのなら、まず西の水を確かめてみよう。僧は、あらためて意を決し、その歩みを進めた。
厳しい旅は僧の片脚を折り、手の指3本と片目の視力を奪った。そしてその代償の結果、西の果てへとたどり着くことができた。そこに浄土はなかった。夢で告げられた、ただただ膨大な水の原が広がっているだけだった。固いものからやわいものへ、そして目に見えぬ風へ。金色に、紅に染まるその先の空に近づくことはもうかなわなかった。
ある国の都で、一人の高僧が息を引き取ろうとしている。床を囲む弟子たちが彼の声に耳を傾ける。
「ひとは四つの輪に囲まれ生きている。金を最上界に持つ石の輪、それを囲む水の輪、風の輪、そして虚空の輪である。おまえたちはまず身の回りの石の輪を金の輪にするよう努めなさい。そしてその輪を大きく広げていくのだ。いつか金の輪は水の輪と接するところまで届くだろう。そこでおまえの努めは終わりだ。それ以上、できることは何もない。しかしそれでよい。それでよいのだ」
「金輪際」は正しくは大地の象徴である「金輪」の底の「際」を指す言葉とされています。本編はその意から想を得た架空の物語です。