ミサイル攻撃に備えるべし!
北朝鮮のミサイル攻撃を想定した避難訓練が各地で実施されています。
2017年9月28日には秋田で、同年12月1日には福岡で、そして2018年1月22日には東京文京区で、それぞれ住民や会社員、学生などの参加のもと行われました。
なかでも文京区での訓練は「(都内では)第2次世界大戦後で初めて」(出典:AFP)のものでその異例さが際立ちます。
訓練反対の声
一方でこうした訓練に反対する方もいます。
たとえば前述の文京区では当日抗議集会が開かれました。
2018年1月31日に神奈川県で行われる予定の訓練には市民グループから中止の要請も発せられています。
神奈川県内全33市町村で予定されている「全国瞬時警報システム」(Jアラート)発動を想定した国民保護サイレン再生訓練について、藤沢市の市民グループが19日、同市に対して訓練の中止などを求める要請書を提出
出典:カナロコ(神奈川新聞社)
また神奈川新聞社は市民グループ代表の樋浦氏の言葉を引用し
「訓練の根拠が乏しく、情報も不十分な中で訓練をすれば、市民や子どもたちは混乱する」と指摘。訓練の想定が弾道ミサイル落下に絞られている点についても「外敵をつくりだし、市民に戦争やむなしとの感情を抱かせることにつながる」
出典:カナロコ(神奈川新聞社)
と伝えています。
訓練は法で定めれられている!?
なぜこうした訓練が行われるのでしょう。
「内閣官房国民保護ポータルサイト」では「弾道ミサイル落下時の行動」などが(果たしてそれが本当に有効なのかは別にして)具体的に示されています。
トップページの「国民保護訓練」のボタンをクリックすると「国民保護に関する国と地方公共団体等の共同訓練」と題したページに遷移し、そこにはつぎのように記述されています。
武力攻撃事態等のように突然発生する事態に際して的確かつ迅速に国民保護のための措置を実施するためには、平素から十分に訓練をしておくことが重要であり、国民保護法第42条においても、訓練の実施について規定されています。
政府では、地方公共団体等と連携して、国民保護に関する訓練(図上訓練及び実動訓練)を実施しています。訓練を積み重ねることで国民の皆さんの国民保護に対する理解が深まることを期待しています。
上記の引用で「国民保護法第42条においても、訓練の実施について規定されています」という記述が気になったので同条文を確認してみました。
「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)」では「第六節 組織の整備、訓練等‐第四十二条‐3」でつぎのように定めれています。
地方公共団体の長は、住民の避難に関する訓練を行うときは、当該地方公共団体の住民に対し、当該訓練への参加について協力を要請することができる。
なるほど「参加について協力を要請することはできる」。しかし義務ではないようです。
「自らの責任において訓練への不参加を表明し、たとえ命を落としても誰にも文句は言えませんよ」「はい、わかりました」というわけです。
戦争やむなし、ではいけない
僕は訓練自体を否定するのではありません。気になっているのは前述の市民グループ代表の樋浦氏の言葉です。
「外敵をつくりだし、市民に戦争やむなしとの感情を抱かせることにつながる」
前述の文京区で行われた訓練でも
抗議活動を行っていた元小学校教師の女性(77)は訓練に反対の意思を示し、戦争を助長するものだと非難した。
出典:AFP
と報じられています。
僕はこれらの報道に触れ、10日ほど前に実家で発見した古い新聞記事のことを思い浮かべました。
一瞬にして防護団を動員
それは1933(昭和8)年7月21日付の東京日日新聞です。実家の物置を掃除していたら掛け軸を収めた籠の中から出てきました。
出典:東京日日新聞(昭和8年7月21日付)
目を疑ったのは「空襲下の帝都」「本社横に焼夷弾」と大書された見出しと煙で覆われた東京のビル群の写真でした。昭和8年といえばまだ本土空襲は始まっていないはずです。
写真のキャプションを確認し、すぐに納得しました。
「丸の内ビル街を防衛する煙幕」
なるほど敵の空襲から建物を隠すため煙幕を張る訓練だったのですね。
興味がわき、記事のリード文を読んでみました。
空襲下の帝都
一瞬、防護団動員
煙幕、主要建物を覆うて
関東防空 予行演習の盛観関東防空演習を前に麹町区防護団の防空予行演習は二十日行われた。この日午後一時麹町区平河町の賓亭、愛宕山その他二ヵ所の監視所から敵機襲来の予報が警視庁内の防衛司令部に入ると。「敵機襲来…防護準備」東京警備司令官林中将から麹町防護団本部ならびに麹町丸の内両署に時を移さず電話で命令があった。麹町防護団本部楼上に待機中の団長宮尾時司氏、麹町署の江副警部は区内六分団員三千名ならびに麹町、丸の内両署員非常招集が行われ、交通整理、警護、防〇(一字判読不能)、救護、その他各班と署員はそれぞれかいがいしいカーキ色の班服に身をかためて部署についた、各班員は分担された部署につき麹町、丸の内署員は首相官邸はじめ各名士の官私邸にピストルを持ち物々しく身をかためて警備にあたり待機中、午後三時すぎ帝都の西方から敵機の爆音が聞こえると共に三機編成の飛行機十二台が襲来し二千メートルの上空から日比谷、永田町、富士見小学校、三菱本社、その他学校、ビルディングなどの屋上に設けられた団旗にむかって偽装弾を投下し約一時間にわたって帝都の上空をおびやかして立ち去った
出典:東京日日新聞(昭和8年7月21日付朝刊)
引用文中「関東防空演習」とはこの翌年行われた大規模な訓練をさします。この記事はその前の予行演習を報じたものです。
注目したいのは後半の太字部分。その内容は「敵機12機が飛来し爆弾を投下したが、首相官邸などはピストルを持った署員によって物々しく警護された」というものです。
?????。空から降ってくる爆弾にピストルで警護? 何から国家の要人たちを守ろうとしているのでしょうか。空襲に乗じて敵の陸軍地上部隊が上陸作戦に打ってでたとでも想定しているのでしょうか。
この訓練は国の防護体制が万全であることを示すプロパガンダなのでしょうが、それにしてもピストルはお粗末です。大規模な煙幕の下、防護マスクをつけてやっていたことといえば茶番劇でしかありませんでした。
翌年の関東防空大演習では
前述の東京日日新聞の記事冒頭にあった「関東防空演習」については逸話が残されています。
桐生悠々が昭和8年に信濃毎日新聞の社説コラムで書いた「関東防空大演習を嗤う」は、空襲を想定した防空訓練の無意味さを説き、これに反発した在郷軍人協会の言論弾圧によって退社に追い込まれたことで知られています。
「関東防空大演習を嗤う」の原文によれば
我機の総動員によって、敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落すこと能わず、
(中略)
討ち漏らされた敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に、焼土たらしめるだろう
(中略)
敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである。この危険以前に於て、我機は、途中これを迎え撃って、これを射落すか、またはこれを撃退しなければならない。
(中略)
壮観は壮観なりと雖も、要するにそれは一のパッペット・ショーに過ぎない。特にそれが夜襲であるならば、消灯しこれに備うるが如きは、却って、人をして狼狽せしむるのみである。
原文は、科学の力によって都市の位置の特定とそこに達する飛行技術は確立されているので灯火管制など無意味と続きます。
想定の甘さと対処のあいまいさ
1945年3月10日から3回に渡る「東京大空襲」は
爆撃機約 300機が来襲し,約 1700tの焼夷弾を投下,10日早暁にかけて大規模な火災による旋風が発生し,東京の全建物の 4分の1が破壊された。8万人以上(一説には 10万人以上)が一夜にして焼殺され,100万人が家を失った。
とされています。
あの軍事訓練は何だったのか?
翻って今般のミサイル攻撃を想定した避難訓練です。1933-1934(昭和7~8)年当時の軍事訓練とは、訓練の性質そのものが異なりますが、気になるのは「想定の不確かさ」「対処のあいまいさ」が共通していることです。
僕たちはどんな種類のミサイルが、どのような飛行ルートで、攻撃方法で襲ってくるのか知らされていません。おそらく政府も、自衛隊もパターンは想定しても、実際にどのミッションで攻撃してくるのか事前に確定することはできないでしょう。甚大な被害が発生しても、またもまたもまたも「想定外」の言葉で濁されるに違いありません。
繰り返しますが「内閣官房国民保護ポータルサイト」では「弾道ミサイル落下時の行動」などが具体的に示されています。しかしそれで本当に身の安全を確保できるのか? この程度のことを訓練することで「国民保護」が謳えるのか?
僕はあきらめずに戦争反対の意思を表明し続けることこそが大事だと思っています。「備えずしてどうする」とお叱りを受けるかもしれませんが、疑心暗鬼のまま、国を挙げて戦争にまい進するよりましです。恐れるのはあきらめと好戦機運の盛り上がりです。政府による「訓練のための訓練」が平成のプロパガンダにならないことを願うばかりです。