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70年の縁の終わりに学んだこと

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人の思いに心が動かされたので、誤解を恐れず書きます。不適切な表記もあるかもしれませんが、昔のことを正しく記述するためです。ご容赦ください。

僕が生まれる前、田植えや稲刈りの時期は人手が足りず親類縁者同士で労働力を融通しあっていました。

ある年、手伝いに来ていた若い女性をたまたま見掛けた人がいました。器量がよほどよかったのか、働きぶりを見込んだのか、とにかく農家の嫁にぴったりだと思ったのでしょう。縁談話が突如持ち上がります。ただ当時は家の格などというやっかいな問題があり、僕の実家から嫁に出すという形をとることになりました。

 

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先日、その方が亡くなりました。後に知ったのですが行年97歳ということでした。20代で嫁入りしたとして、ざっと70年。古い古い縁者です。本来、葬儀に参列すべきだったのかもしれませんが、行きませんでした。実家の母と電話で話すと、別の親類には連絡が行ったがうちにはないということだったからです。そういえばその夫となる方が数年前に亡くなった際も連絡がありませんでした。そのときは何かの手違いだろうと葬儀に伺いました。親類付き合いに「縁を切る」と呼ぶ慣例があります。決して不仲によるものではなく、縁の始まった時代から代が下り、総領同士の縁が薄くなったところで冠婚葬祭のお付き合いを断つものです。二度目ということもあり、そんな意思を察しての不参加でした。

しかし、後日判明したのですが、実際は亡くなったことを知らせようとしてくれていました。なんのことはありません。実家の母が電話に気づかなかっただけなのです。

大変申し訳なく、一昨日家にお線香を上げに行ってきました。息子となるご主人はすでに定年されています。大事になるので、平日の昼に連絡もせず訪ねることにしました。あいにくご主人は筍掘りに出かけたとかで、お会いできたのは夫人のみでした。突然の訪問にも快く応じ、仏間に招きいれてくださいました。

お線香を1本上げ、そそくさと玄関を後にすると、レジ袋に急いで詰めた香典の果物を追いかけ渡してくれました。

それから2~3時間後、ご夫婦が実家を訪ねてこられました。改めて香典返しを持参してくださったのです。今度はこちらが不在で母が応対しました。筍掘りから帰宅して慌てて買い物をされたのでしょう。さまざまなものが大きな紙袋二つに詰まっていました。葬儀に参列すればその場ですべて済んだものを却ってご迷惑をかけてしまいました。

しかし、この丁寧さは何でしょう。もしも僕ならわざわざ夫婦そろってあいさつに行くことはなかったでしょう。これで終わり、と思ったはずです。僕より一回りほど年上のそのご主人はなぜ終わりにしなかったのか。たぶんそれは「礼節」ではなかったかと思われます。家と家のおつきあいの始まるきっかけとなった縁結びの母と、嫁出しを引き受けた当主のうちの祖父に対して「礼」を尽くしたのではないでしょうか。訪問の意味を考え、そこに至ったとき、ご主人の率直さ、誠実さ、心の佇まいの清冽さに感動したのでした。

田舎の親類付き合いの面倒さに辟易していた僕は少しはずかしくもありました。縁の終わりに、よいことを学ばせていただきました。

 

 

 

 

 

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