正月から縁起でもない話です。
昨年12月30日にカラスがたくさん舞い飛び、鳴きました。
わが地方では、というかたぶん田舎では、室内の大神宮様と歳神様に正月飾りと鏡餅のお供えをすると同時に、外の神様、たとえば稲荷様(うちにも裏にも小さな祠がある)や井戸神様などにお供え物として餅をあげます。
カラスはそれを知っていて、あげたそばからかっさらって行きます。
そして「ここにエサがあるぞう」とばかりに近くの電柱に停まり、辺りに呼ばわるのです。
それならよいのです。理由がわかっているから。
でも、本日1月4日。またカラスが鳴き騒ぎました。
朝から母は「なんだろう?」と怖れを口にします。
そう。理由もなくカラスが騒いだときは不幸が起こる(起こった)という報せなのです。
僕も、ちょっと不安になり、老いた母に注意を向けていました。
そういえば今日の「漢字クイズ 」に集中力を欠いていた。
いつもは終わると「見てくれ」と呼ばわるのに、今日に限ってすぐに横になりコタツの上にプリントが放置されたままです。
なんだか様子がおかしい、具合でも悪いのではないかと心配しておりました。
夕方、集落の班長がわが家を訪ねてきました。
訃報です。
近くの家で不幸がありました。亡くなった方は90歳を過ぎての大往生でした。
「やっぱり」と母と顔を合わせ、ふと思ったのは「母でなくてよかった」。
たいへん不謹慎ではありますが、たしかにそう思ったのは事実です。
昔から、よくこういうことがあります。カラスはきっと電柱の上からその家を眺め、不穏な動きを察知するのですね。不思議な動物です。エサにありつけるわけでもないのに。
僕がまだ小学生のころに流行ったテレビアニメです。
あれは少年忍者が主人公の「サスケ」かあるいは「カムイ」か、こんなシーンがありました。
村はずれの荒野。西日が照り付ける枯れ木にカラスが舞っているのです。
そのころからあいつはどうも好きになれません。