つれあいの質問がこのごろ煩わしいのです。
「なにしてるの?」「どこ行くの?」
「切手貼ってるんだよ」「1階だけど」
教えるまでもないことをいちいち説明しなくてはなりません。
そういえば仲のよろしくない老夫婦の旦那といえば「うるさい!」と怒鳴っているイメージがあります。
何が彼らを、そして僕をいらだたせるのでしょうか。原因をずっと考えていたところ、ようやく思い当たりました。なんのことはありません。こちらの老化だったのです。
若い頃は、つれあいからの些細な質問にも120%の愛情で包み答えていました。なぜなら、どうたのしませてあげるかアイデアがあふれ、当意即妙の言葉を返す余裕があったからです。
しかし脳が衰えたこの頃は言葉にできない。不意に質問されると、あー、うーの一瞬を経たのち、状況を説明する言葉を絞り出さなくてはなりません。それが精神の負担となり煩わしいのです。
なるほど、だから答えないという対処法もあり、それはそれで仲のよろしくない老夫婦のパターンのひとつであるわけです。
感動のあまり言葉にできないのは歌になりますが、日常的に言葉にできないのは問題です。
僕はいまのところ言葉にする試練を乗り越え、つれあいの質問になるべく答えるようにしています。不機嫌と思われるのがそれはそれで面倒ですからね。それが原因で仲が悪くなるのはもっといや。そしてもしかしたらなんでも問い質したいのはつれあいの老化が原因かもしれないと思うからです。
なんだかんだ言って、いまだに愛があるんだな。なんだ、おのろけかよ。