Sは高校時代の友人だ。小中と同じだったが、シンパシーを感じ始めたのは高校からだった。きっかけは麻雀である。誰が言い出しっぺか忘れたが、僕らは休日の夜になると友人の勉強部屋で卓を囲んだ。
Sは誰もしゃべらなくなると、よくひとの鼻息を指摘した。寝ながら打っているとちゃかすのだ。じつは鼻息を一番立てているのはいつもSで、それをネタにやり返すと、いつしかたのしい雰囲気が場に戻った。彼のドラ牌含みのチートイ(七対子)にはよく苦しめられたものだ。
その頃、新婚ほやほやの小学校時代の恩師に招かれ、72時間連続で麻雀を打ったことがある。ご夫婦にとって初めての正月だった。最初は笑顔だった奥さんは、三日目の夕方にはとうとう顔も食事も出さなくなってしまった。そんな伝説のメンバーにSもいた。
先日、実家のご近所さんの通夜振る舞いで親類として駆けつけていたSと話す機会を得た。同窓会以来二十数年ぶりの再会だ。しばし子どもと親と自身の健康の話で盛り上がり、旧交を温めた。
さて翌日の納骨の帰り道である。
うちの実家の辺りでは告別式の後火葬に付し、その日のうちに納骨する。墓は村はずれの雑木林のなかにあり、参列者は読経のなか線香を手向け、終えた者から送迎のマイクロバスに乗り込む段取りだ。
線香をあげ終えた参列者には供物の果物が配られる。昔は切ったメロンや夏みかんがふるまわれたものだが手が汚れるというわけでバナナ1本に変わっていた。
僕とSは歩きながら、そのバナナをほおばった。しかし困ったのはその皮の始末である。段取りの不手際に文句を言いながらマイクロバスに向かう途中、僕の実家の脇を通る。
「ここはそらよりの家だろ? バナナの皮捨てていい?」
Sは昔懐かしいいたずらな笑みを顔いっぱいにたたえ、僕の顔を見た。
まごつく僕を置き、友は先を行く。
そうそうあの頃の僕らはこうだった。友だちが噛んでいるガムを1枚もらい、口にしてすぐさま不味いと顔をしかめる。そんな冗句で友の存在を確かめ合っていた。
僕は少し遅れてSに言葉を返す。
「あとでおまえん家に持ってってやるよ」
歳を重ね、隔たった距離を縮めるときがようやく訪れたようだ。