年末年始に物置を片付けていたら昭和8年8月4日の新聞が出てまいりました。新聞社は毎日新聞の前身である東京日日新聞。現在は2018年のはじまりですから、およそ84年前のものとなります。
それは茶箱の敷物となり、変色していました。市況が中心のわずか4面ながら、現代に通じる風潮を感じたのでご紹介します。
出典:キング九月特大號(ごう)新聞広告(東京日日新聞 昭和8年8月4日)
武勇と恋情のラッシュ
発見した新聞でまず僕の目を引いたのは全15段ブチ抜きの大衆雑誌の全面広告(上画像参照)でした。黒ベタ白抜きで「キング」と誌名が大書されています。発行は大日本雄辯會講談社。おやおやと思いネットで確認すると現在の講談社のことでした。
「キング」は大正・昭和前期に国民的な人気を誇った大衆雑誌です。
日本で初めて100万部を突破し、都市労働者層から帝大生や旧制高校生、さらに日雇い労働者や都市細民(下級階級の人、貧民)まで幅広い読者を獲得しました。
「キング」の広告紙面には、たとえばつぎのような文章が躍っていました。
九死一生 匪賊と共に四十日
七度死を免れた●●大佐の武運
恐怖と感激の一大記録!!
重大使命を帯び、飛行機で承徳(中国河北省)より多倫(内モンゴル自治区?)に向ふ途中、匪賊(ひぞく)の爲(ため)に射落されて無念にも操縦者●●航空兵軍曹は戦死し、自らは匪賊に拉致され乍(なが)ら却って彼等を説得歸順(帰順)せしめ、無事に生還した●●●●特務機関長が、遭難以来の苦心談を特にキングの爲に寄せられた。事実は小説より奇、見よ! 殺陣肌へに汗する恐怖と感激談。
或時は毒饅頭で或時は砲弾で或時は馬賊の爲に、前後七回も死線を越え乍ら不思議に助かった兄●●大佐の武運を語る
●●大佐の舎弟
●●●●
出典:キング九月特大號(ごう)新聞広告(東京日日新聞 昭和8年8月4日)
※個人名は伏せてあります。
青春哀歌 處女(しょじょ)の頃
戀(こい)は悲し!!
蛇の如く執拗に結婚を迫る従兄と貞操を金に代えんと脅かす叔父との板挟みに泣く可憐な處女!美貌の罪か世の罪か?涙で綴られた處女哀史!!
出典:キング九月特大號新聞広告(東京日日新聞 昭和8年8月4日)
なるほど欲望を満たす“玩具”として庶民に絶好の娯楽を提供していたようです。
では人々がこの雑誌にこぞって手を伸ばしていた昭和8年とはいったいどんな時代だったのでしょう。
歴史のなかの昭和8年
昭和8年は日本が国際連盟を脱退した年です。日本軍に対し満洲撤退を勧告されたのが理由でした。
一方ドイツではナチス政権が誕生しました。
作家小林多喜二が治安維持法違反容疑で逮捕され虐殺されたのもこの年です。
日中戦争は事実上始まっており(諸説あり)、8年後に太平洋戦争が開戦となります。
人類が宿命的に抱えるダークな渦が猛烈に回転し、世界を戦争へと引きずり込みはじめていました。新聞にもそうした社会情勢は色濃く反映されています。
高額関税による日本の締め出し
出典:東京日日新聞 昭和8年8月4日
全面広告の裏側は見開きで市況面となっており、その最大の見出しは
綿花競爭品として生糸にも加工税
米國『聽聞會』で決定
出典:東京日日新聞 昭和8年8月4日
となっています。
同記事は「加工税の内容はまだ決定しておらず、綿花並みであれば1ポンド数セントの見当となりさほど問題ではない。しかしスライディング・スケール制が適用されれば生糸1ポンド当たり70セントの税額が適用され、こうむる打撃は甚大」と予測しています。
当時、日本を狙い撃ちした差別的規制は米国のみならず英連邦、オランダ植民地等の各国で実施され、日本経済を効果的に痛めつけていました。
この記事は孤立する日本を象徴する出来事を伝えるものでしょう。
当時の日本の輸出産業と米国などによる差別的規制についてはこちらのサイトまで。
Japan On the Globe(486) 国際派日本人養成講座「地球史探訪:経済封鎖に挑んだ日本」
日米の軍艦建造競争
出典:東京日日新聞 昭和8年8月4日
またその反対面では当時一大産業を成していたであろうと思われる軍艦建造について日米の動向を伝えています。
日本が軍艦建造を発表した直後、米国のルーズベルト大統領は21隻の新艦建造を許可します。米側はこれを「従来の31隻の建造計画の一部であり、数千人規模の失業対策」であるとしました。
さらに米高官は
日米両國で發表された新海軍艦艇建造は老朽艦艇を補充せんとするもので海軍競争の開拓を意味するものではない。日本はロンドン條約で許容された權利を行使するに過ぎない。
出典:東京日日新聞 昭和8年8月4日
と説明しています。
両国は既定路線を実施しているだけと否定しますが、事実上の軍拡競争を演じているのがわかります。
歴史に埋もれた平凡な1日
この新聞の発行日である昭和8年8月4日、僕の祖父は満24歳でした。7歳のときに父を亡くし、母と二人で家を守ってきた祖父はこの新聞の2年前に祖母と結婚しています。僕の父の誕生は、あと4年待たなくてはなりません。
祖父と祖母は、この日何をし何を考えていたのでしょう。
8月といえば瓜の収穫にいそがしいころです。稲穂の実りも心配だったでしょう。祖母は墓所に飾るお盆の花が十分に咲きそろうか、気にかけていたかもしれません。いずれにしろたぶん何気なく日が昇り、何事もなく日が沈む365分の1の日常だったでしょう。
でもその日、のちの大戦争につながる出来事を新聞は伝えていました。そしてその暗雲から目をそらせるかのような武勇と恋情が人々の欲望を消費し闊歩していました。
現代に目を移せば経済封鎖と軍事力誇示は主役の一方を替え再演されています。そして文春砲のスキャンダルに人々は夢中になっている。“その日”と瓜二つな“今日”に僕は立っています。
果たして歴史の奔流は止められないのでしょうか。
「目をそらしてはいけない」。くたくたに赤茶けたタイムマシンは警告を発しているのかもしれません。