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母とゼンマイ式の柱時計

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実家の座敷にはゼンマイ式の古い柱時計があります。

隣部屋との広い開口部の長押(なげし)を支える柱にそれは掛けられていました。座敷の中央に据えた座卓から横を向けば上に見える。土間から座敷口を開けば正面に見える。どこからでも時刻が確認できる。僕が物心ついたときにはもうそこで時を刻んでいた定位置です。

先日、おそらく初めて、それを移動しました。

柱時計にはゼンマイを巻くための穴が左右ふたつ付いています。片方が時計の針を進めるためのもの。片方が正時にはその数字分、半時にはひとつ、コーンと鐘を叩き時刻を知らせるためのもの。それぞれ数十日に一度は巻き直さなくてはなりません。

僕が子どもの頃は祖父が、祖父が老いてからは父が、そして父が亡くなってから20年近くの間、その役目は母が担っていました。

秋の草刈りで実家に帰った僕は、背伸びをしてそのゼンマイを巻き、ふと思いました。

背の低い母はどうやってここまで手を伸ばしているのだろう?

通りかかった母にたずねると案の定、ダイニングの椅子を持ち出し、それに乗ってゼンマイを回していると答えます。それでも背伸びをしなくてはならないそうです。

どうして僕はもっと早くそのことに気を配れなかったのでしょう。

最近白髪を染めることもなく、すっかり老いが目立つようになった母を見て、ようやく危険な目に合わせていることに気付いたのでした。

僕は定位置の横にある別の柱に釘を打ちました。それは床から天井まで延びる柱です。時計を掛けると、針が目の前にくる。笑ってしまうほど低くなりました。来客者が見たらきっと首をひねるであろう奇妙な位置に柱時計は引っ越しました。

これでもう椅子に乗らなくてもゼンマイを巻けると母に告げると「おや、なんぼいいや」と顔をほころばせました。

それは“歴史”を覆さざるを得ない僕を励ますかのような弾んだ声でした。

 

 

 

 

 

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