じつは実家でご近所トラブルに発展しそうなことを抱えていました。
一昨年の夏、お盆を控えたお墓掃除であわや民家に類焼しかねない失火を出された方がいました。掃き集めた枯れ葉を燃やしたところ、隣地に積もっていた枯れ葉に燃え移り、消防車が出動する事態となったのです。
その方は同級生(女性)の父親で、うちの父とは生前懇意の間柄。僕もその父娘ともに普段から好ましく思っていました。
問題は枯れ葉の積もっていた隣地です。そこも墓地なのですが、あるゴタゴタから一家は離散し、誰にも管理されていない状態でした。
その家に明治の初期、わが家から嫁いだ者があったそうです。しかし祖父の時代に、いよいよ手が負えなくなり絶縁。それでも父の時代まで墓参りだけはしていました。お盆の朝には実家の墓参りだけでなく親しく付き合っている家の墓地を巡る風習があり、そのコースの一つに入っていたのです。当時は縁者の誰かがお墓掃除に来ていたらしく、枯れ葉もきれいに掃き清められていました。
ただ僕の代となった十数年前から墓地は荒れ放題となりました。縁者が途絶えたのでしょう。誰も掃除に来なくなったのです。老いた母が実家にひとり、僕も東京住まいで、その墓地の管理を引き受けるのは手に余りました。そのため墓参りのコースから外すことにしました。
この点は眉をひそめる方がいらっしゃるかもしれません。少しでも縁があるなら管理を引き継ぐべきだと。しかし自分の後の代まで考えると、ここは義理人情を欠いたとしても縁を断ち切る必要がありました。
さて、同級生もそこに不満があったようです。失火騒ぎの後、ご夫婦で苦情を訴えに来られました。勝気な母は「とっくに縁を切っている家の墓所をどうしてうちが管理しなくてはならない」と言い返したそうです。その場は物別れに終わり、どちらの家もモヤモヤを引きずることになりました。
僕が最初に考えた対応策は「法的に何の根拠がある」という徹底した抗弁でした。つぎに何か言って来たら強く言い返してやろうとさえ思っていました。
しかし、時の流れというのはよくできたもので、とっさの怒りもやがて鎮まるものです。
今年、村の新年会で彼女と顔を合わせた際に、その問題を切り出してみました。ちょうど彼女は母親の介護を抱えており、家を守り継ぐという共通の話題がありました。その話の流れで、自分にも自分なりの悩みがあると打ち明け、世間の目で見た不義理を詫びたのです。自分でもびっくりするほどの素直さでした。
人はハガネの太刀にはハガネで抗します。ならば手を合わせる者にはどう応えるでしょう。彼女は何度もうなずき「そうじゃないかとわかっていた」と返してくれました。
危うく同級生と生涯いさかうところでした。時を待ち、心をいったんフラットにし、素直に非を認めることで、僕は別の道を選ぶことができました。