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Twitterを成仏しました

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娘がTwitterのアカウントを削除するひとのことを「成仏する」と評した。
なるほど、言うに言われぬ不満をTwitter上でぶちまけている人は
もうそうした不満解消の場を必要としなくなったという点で「成仏」はまさにふさわしい例えだった。
さて僕が昨年末に突如数時間で最長5年間のアカウントを削除したのは「成仏」だったのか。当初真実は少し異なると思ったが、結局そのとおりであったことが最近はっきりしてきた。
僕はもう何度も打ち明けているが、坂本冬美の「ブッダのように私は死んだ」の楽曲にいたく感動したツイートを連発した。そこには我が女性関係から得た教訓と共感が吐露されていた。
しかし一方でそれは自分のサイトの宣伝のためのアカウントという性質上露わにしてきた内容ではなかった。そこに失望を買ったのかもしれないという不安が生じた。信頼への裏切り行為といってもよいかもしれない。
その罪の意識が、これ以上続けることを大きく躊躇させた。
いや罪の意識というのはちょっと違うかもしれない。僕の本心を告げるべきと覚悟したときに、これまでツイートがあまりにうわべだったことの反省がその根底にあった。
時代が大きく変化し、僕の経験と意識が変化するなかで、Twitterでもよりわが真実にふさわしいことを発信すべきだと気づいたのである。
僕は従来のサイトの宣伝のためのアカウントを削除し、本音を吐露するアカウントをTwitterに新たに作成した。フォロー「ゼロ」、フォロワー「ゼロ」である。それでも「もっと見る」から「アナリティクス」をクリックし、「全てのツイートのアクティビティを表示」を選択すれば閲覧された履歴は確認できる。
何日かそれを追ってみた。しかしそのうちに馬鹿らしいことに気づいた。何人が見たか、なんてやはりどうでもよいことに気づいたのだ。何人いようが僕の考えは変わらないし、ただの承認欲求に過ぎない。そんなことに惑わされているくらいなら、Twitterのアカウントなどなしにしてしまえ。
というわけで僕はそのアカウントも削除してしまった。いまや3つのサイトの宣伝アカウントはbotとし、自らのメッセージはこの「ロマグレ」に集約した。
晴れ晴れとしてしている。巡り巡って、やはり「成仏」は正しいのかもしれない。Twitterに限らないSNSはもうあ止めたがいいと痛感している僕がいる。社会のさまざまな出来事に“感想”を述べているみなさんに「もっとやるべきとがあるだろう」というのが最近の考えだ。
僕は地域活性化のためのサイトを立ち上げた。この宣伝のためにフォロワーを増やそうとは思っていない。必要なひとがあればアクセスしてくれるだろう。人生の最終コーナーに来て、僕はやるべきことをやっている充実感に満ちている。

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