祖母は、庭の横を流れる小川の向こうに小さい畑を作っていました。おばあちゃんっ子だった僕は、いつもついて回り、畑仕事をしている間、何も植えていない空いた場所で土いじりをしていました。
思い出すのは春先のことです。土手はコバルトブルーのオオイヌノフグリが咲き、畑はサヤエンドウの蝶の羽ばたきのような柔らかい紫色の花が踊っています。
僕は小さなシャベルで掘り返したやわらかい土の中に手をいれる。すると冷たい風が吹く日であってもそこは温かく、春が間違いなくそこにいることを知りました。
春に生まれ、ものみな萌える春が好きで、春に生まれた二人の子どものいずれにも春にちなむ名をつけた僕は、子どものころから、この絵本「ちいさいおうち」が大好きでした。
たしか本屋さんで平積みにされたなかから自ら選んだと記憶しています。その表紙の幸福な春の光景と愛らしい表情の家が「選べ」「手に取れ」「持ち帰れ」と魔法をかけたのでしょう。
僕は何度も読み、まわりに翻弄される小さな家の哀しみに寄り添い、再び幸福に包まれる春の宵のよろこびに浸りました。
またいまの僕を形成する何かも学びました。これと断定するにまでは至りません。この世の有為転変、人生の浮き沈みを受け入れ、再生のときがくるまでじっと耐える心構え、というと格好をつけすぎですが、そのようなことも必要だなあという気づきの原点が、この物語にあるように思います。
写真は僕にとって2冊目の「ちいさいおうち」です。子どもたちにも読み聞かせましたが、彼、彼女がお気に入りだったかは覚えていません。それ以上に、自分が好きだった絵本を自分の子どもに話している、その不思議と感動に夢中だったのかもしれません。
岩波の子どもの本。バージニア・リー・バートン文・絵 石井桃子訳「ちいさいおうち」。名作には名作ならではの想い出があるものですね。
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