これは20年ほど前、ハワイで購入してきたTシャツです。小学5~6年生だった息子へのお土産にと5枚ほど選んだうちの1枚でした。
Tシャツなのにはじめは強烈なココナッツの香りがしていました。
背中にプリントされたフラガールの瞳が神秘的でイチオシのものでしたが、息子は結局1回も着てくれませんでした。
つれあいにそれとなく理由を聞いてもらうと、まさにその女性のイラストがはずかしいと。なるほど思春期直前の多感な上に多感な男子には、浮かれオヤジのセンスはいささか強烈すぎたようです。
しかたないので僕が着ることにしました。幸い大きめのサイズだったので大人でも問題ありません。もともと暑がりで、クライアントに会うとき以外、ジャケットは着ません。通勤はもちろん、打ち合わせも、ランチも、どこに行くのもほぼこのTシャツ1枚で通すようになりました。それほどのものかと問われれば田舎者のただの粋りに過ぎませんが、そのチャーミングなラフさがとにかく気に入っていました。
そういえばリオのカーニバルを見てきたという父が、これまでになく派手なネオン紫色のTシャツを着て実家の座敷でビールを飲んでいたことがあります。どうやら父と僕には「南国気分」に浮かれる血が流れているようです。
このTシャツはやがて1年を通してのヘビーローテーションとなり、そして普段着へと落ち着いていきました。
さてそんな愛着たっぷりな服もいよいよその使命を終えなくてはならないときが来たようです。先日つれあいといっしょに洗濯物をたたんでいると、このTシャツの襟首を見て言いました。
「うまいこと後ろだけほつれてる。もうすてたら?」
本人は気付いていないかもしれないけど、後ろから見ると相当なボロを着ていることになるそうです。ときどき近所のデパートまで普段着で行くこともあるので、連れ立って歩く立場からのご忠告、いや警告です。
とはいえ、着古して体に馴染むようによれた形、やわらかくほぐれた布地の肌触りが、なんとも快適で、なかなか手放す気になれません。
どうしたものでしょう。衣装ケースの肥やしとして大切に保存しておくべきか、さっさと食器洗いの布切れ用として供出すべきなのか。
フラガールは何を伝えようとしているのか、ただ鋭いまなざしで僕を見つめるだけなのでした。