納屋の解体工事のため実家に重機が入ることになりました。隣接する道路から納屋まで、緩い地盤をカバーするため20枚の厚い鉄板を敷かなくてはなりません。その途中には母の家庭菜園の一部がかかっています。
4月半ば、現地を下見にいらっしゃった鉄板搬入の業者さん。社長ご夫婦で年の頃は70歳前後といった辺りでしょうか。奥様が大きな声で僕に話しかけます。
鉄板の通路になるので、家庭菜園横のせっかくのジャーマンアイリスがこのままじゃ下敷きになる。
もうすぐ花が咲く。すでに根本が膨らみ蕾が来ている。まだ間に合うから工事までに植え替えて。
隣りの水仙は球根が丈夫だからかまわないけど、ジャーマンアイリスは重さでつぶれてしまう、とのこと。
ご主人も続けて僕に。このひとは先週わざわざ群馬まで買いにいったんだよ。
奥様はどうやらジャーマンアイリスのファンらしい。
建設資材。それも解体に関するものの業者さんということで気性の荒さを覚悟していた僕にとってそのアドバイスの内容と、言動の熱さに一瞬戸惑いました。偏見による色眼鏡と言われれば、返す言葉もありません。正しく美しい精神に、僕はしどろもどろになりながら薄ら笑みで「わかりました」と答えるのが精一杯でした。
奥様が指さした、シュッと伸びた葉の列は長さがおよそ3メートル。休耕田の草刈りに毎年帰る時期にその花を見ているはずなのですが、どうにもジャーマンアイリスの花が思い出せません。母にあの葉の列はジャーマンアイリスのものかと尋ねると、わからないと言います。どうやら祖父母の代から植わっていたもののよう。僕はネットで検索した花の形に「そういえばこんなのが咲いていたかも」といった朧げな記憶を胸に、納屋の片づけの合間、水仙も含めた株の移動を行いました。
しかし忙しさにかまけその結果を確認することをしませんでした。
それが5月半ばの今朝、ふと目を向けるとジャーマンアイリスの株たちが見事な花を咲かせているではありませんか。近づくと今まで気づかなかった気品ある香りが漂います。
僕はそのときなぜ奥様があれほどまでにジャーマンアイリスに夢中だったのか、わかったような気がしました。
凛と鮮やかに立つジャーマンアイリスに僕は気高さとその庇護のもとにある安楽を感じました。ひとはどう生きるべきか、その花は何かを語っているようでした。
奥様はきっと僕にこの瞬間を感じてほしかったのだと思います。