祖母は脳梗塞で倒れ、その後およそ7年間、介護施設で過ごしました。当時、僕は30歳代前半で、遠く離れた場所で仕事をしていました。
Photo by Gabriela Palai from Pexels
年に1回か2回帰省し、見舞いに行ってました。
その際につらく感じたのが、看護師さんや、いっしょに行った叔母などが、僕の名前を憶えているか祖母に尋ねることでした。
祖母は車いすに座り、体がきくほうの手に握ったガーゼで流れ出るよだれを拭いています。訪ねてきた者全員に示す笑顔は倒れる前と何も変わりありませんでした。しかし言語障害に、認知症が加わり、なかなかひとの名前が出ません。そんなときはたちまち苦しい表情となり、涙を流すのでした。
僕はそんな祖母を見るのがつらかった。
顔を見ただけで、祖母はきっと僕だと、愛した孫だとわかっていたはずです。
中学生のとき家出し、どこも行き場がなく翌日戻ったとき、すがりついて泣いたのは祖母でした。
家に寄りつかず、寝場所をあちこち変えていたとき、朝方“生霊”となり夢に現れたのは祖母でした。
結婚したての頃、ボロアパートを探し当て、家の鶏が産んだたくさんの卵を米に混ぜ持ってきてくれたのは祖母でした。
でも、そんな孫の名前を聞かれると出てこない。それはどれほどもどかしいことだったか。
どうか僕の名前を言わせるなんて拷問はやめてほしい。祖母の困った顔を前に、僕は願うばかりでした。
名前なんてどうでもいいのです。愛したひとがいて、愛されたひとがいる。その対面のときがここにあるだけで慶賀なのだから。
こころあるならば求めたい。どうか言葉と記憶を失いつつあるひとに、名前を求めないでください。