大学を中退(学費を払わず除籍)した僕は
今は亡き親友Kのアパートを足がかりに
江戸川区平井の荒川のすぐそばに古いアパートを借り
独り暮らしを始めた。
昭和初期に建てられたであろう家賃2万円ちょっとのボロアパートは
3戸で1棟の木造平屋でお隣りは耳の遠いおばあさんだった。
夜にはテレビの大音量が薄いベニヤ壁の向こうから聞こえたが
会えばご挨拶しているうちに親しくなり
休みの日は僕の6畳間の掃き出し窓に
お茶とせんべいを持ってきて昔話をした。
子どもの頃は荒川を泳いで渡り、
日本初の自転車の女性ロードレーサーということだった。
僕のアパートは毎日機械がグイングインと鳴る町工場の裏手の日陰にあった。
小さな前庭にはビワの木があり、なぜか錆びた鎌が刺さっていた。
その向こうは2階建ての日当たりのよい比較的新しいアパートで
大学生らしい若い男がカノジョといっしょに部屋へと上がっていった。
数少ないワードローブである時代遅れのアロハシャツを
キッチンで手洗いし窓に干していると、それを見て何やら笑うカップルもいた。
冬の深夜の銭湯帰りには月を見上げて震えた。
僕は当時、独りぼっちだった。
アパートの家賃を払うために働かなくてはならない。
アルバイト誌を購入し、まず選んだのが帝国ホテルの花屋さんだった。
なんの経験もない田舎者は面接であっさり落選した。
つぎはオープン仕立ての109の雑貨屋さんに応募し採用された。
しかしショップ店員のなんであるかがまったく理解できておらず
出勤初日でクビとなった。
それからやっとの思いで職を得たのが
西武新宿線の沼袋駅近くの町工場だった。
募集要項には「木工玩具の製作」とあったが、
実際にやったのはレントゲン機器のパーツ製作で、
デカいバキュームマシンを使い
鉄製のパネルにプラスチックシートを圧着する仕事だった。
夏には窓を全開し、背中にベンジンを流し、暑さをしのいだ。
それでも社長を含めよいひとばかりで
僕はそこで山登りを教えてもらった。
さらに週の何回か夜には
銀座のコピーライター養成講座に通った。
そしてなんとか広告会社の制作職にアルバイトとして採用してもらった。
ディレクターという肩書きだったが、
なんということはないコピーもデザインもやる何でも屋だった。
仕事を始めてほどなくひとりのイラストレーターと出会う。
彼女の得意分野は、当時の僕には発注できるカテゴリーではなかったが
とても素敵な絵を描くひとだった。
たとえばただ普通のスプーンとフォークだが、
なぜそれがここにあるといえるのか
その理由をしっかり描き切ることのできるひとだった。
僕は彼女の得意な絵のレベルに追いつける
広告プランをクライアントから獲得すべく頑張るが
現実は、なかなかうまくいかない。
僕の仕事のレベルでお願いしていたある日、
なかなか要望にマッチしないことがあった。
僕は何度も描き直しを迫った。
そして彼女はこの仕事をおりると言ってきた。
結局、プラン自体が流れたが、僕の一人相撲だった。
それから数日後の日曜日。
100円玉を拳からこぼれるほど握りしめた僕は
アパート近くの公衆電話に向かい彼女の家にダイヤルした。
素直に自分の力不足を詫び、
またいっしょに仕事をしてほしいと食事に誘った。
それからたぶん1ヵ月ほどくらい後のことだったと思う。
僕と彼女は荒川の河川敷でピクニックをした。
彼女の手作りのサンドイッチと僕の買い求めた安ワイン。
オープナーを忘れてしまったのに彼女は怒ることもなく、
近くの酒屋の場所を尋ね、手に入れに走ってくれた。
僕たちはあの公衆電話から3ヵ月で結婚を決め同棲した。
現在61歳の僕は高血圧症に掛かっている。
新型コロナ感染防止のため都県をまたいでの移動は
原則控えるよう言われているが、
かかり付けの診療所で受診しなくてはならない。
そのためおよそ3ヵ月ぶりの帰宅となった。
これまでつれあいとこれほど離れて暮らしたことはなかった。
僕が浮気をし離婚話を持ち掛けたときでさえベッドを共にした。
いろいろあったけど、けっきょく男は女の「真実」には勝てない。
彼女のもとに帰ることがひととして生きる真実だった。
ひさしぶりに会ったつれあいとまた安いワインを傾けた。
日々の暮らしを報告しあい、
彼女は人付き合いのちょっとした不都合を吐露した。
以前と同じようにふたりでスーパーに買い出しに出かけ
何が食べたいと聞かれ、なんでもと答え
それがいちばん困るんだよねえ、といういつものやりとり。
いっしょのベッドで彼女の腰に手をやり
そのまま寝落ち、いつのまにかそれぞれが布団にくるまっている。
翌朝、またねと玄関を出る僕。笑顔で送り出してくれるつれあい。
特別なことは何もないけど、彼女との普通がとても愛おしい。
僕の人生は間違いなくここにあるのだ。
偶然の出会いが、必然となる日はきっとくる。
「恋する」ことが素敵であることの秘密は
たぶんそんなところにあるのではないだろうか。
あるひとつの「恋」の成果として僕と彼女は今を生きている。