長年可愛がってきた愛猫あんこが2017年1月10日永眠しました。享年18歳。本日ようやく四十九日となり、ひと区切りついたのでご報告します。
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彼女がわが家にやってきたのは、新居に越して最初の春でした。生後1ヵ月ほどの子猫で、アタマと前足に腰が追いつかないよちよち歩きに、連れ合いも子供たちも可愛いと悲鳴をあげました。
このブログではこれまで黒猫姉様として紹介してきましたが、名前は「あんこ」です。当時小学生だった娘があずき色の肉球を見つけ命名しました。
当時の僕は会社が大繁盛でほぼ毎日午前様でした。終電を逃がすのは毎度のことでタクシーをひろい2時、3時に帰っていました。でも朝食だけは学校に出掛ける子どもたちといっしょにとることにしていました。見送ったあとにソファで二度寝です。連れ合いが足にブランケットを掛けてくれると決まってあんこがスネの上で丸まりました。野良猫の血筋なので警戒心が強く、ヒザの上に乗ることさえまずなかったのですが、なぜかそのときだけは30分ほど僕の上で温まっていくのでした。気むずかし屋さんだったので、ときに甘える姿がよけい可愛く思えました。
当時中学生だった息子は、大学を卒業するまで家にいました。外から帰ってくると決まって抱き上げ頬ずりしていたものです。
冬の寒い日は最も日当たりのよい娘の部屋でいっしょに午睡を楽しんでいました。
家族4人が一つ屋根の下で暮らしていた時代。あんこは、なで、抱きしめ、追い掛け、じゃれまわす、みんなの“癒し”でした。
なかでも連れ合いは当時から在宅で仕事をしていたので、あんことの触れ合いは家族の中で最も濃いものでした。寂しい想いのときも、きっと慰めになってくれたはずです。
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亡くなる数ヵ月前、もう相当なおばあちゃんのあんこは、1日に何度も僕に顔を向けニャア~と怒りました。からだをくしけずってほしいの合図なのですが、それはお願いの声音ではありません。早くくしけずりなさいよと言わんばかりの剣幕でした。
しかたなくソファに腰かけると隣に飛び乗り背中を向けて座ります。ていねいにくしけずってあげると、僕の顔を確認し、目を細め、満足であることを教えてくれました。
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彼女の様子がおかしくなったのは昨年の大みそかのことです。実家に帰っていた僕に連れ合いがLINEで急変を知らせました。それまで足腰が弱くなり階段を下りるのも難儀な様子だったのですが、ついに滑り落ち、目を回し、腰を抜かしてしまいました。
歳も歳なので心配になり、翌元旦に帰りました。2日にはいったん歩けるようになり、トイレ、水、食事も自分でできましたが、それからは一進一退。歩けなくなり、息をするのがやっとになり、とうとう9日には目が濁り、閉じることができなくなりました。ときどき見守る僕らに呼びかけるように小さな声で鳴くのがせいいっぱいでした。
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1月10日、ずっと見守っていた連れ合いが僕を呼ぶので行ってみると、もう最期のときを迎えつつありました。
そして午前11時50分、静かに息を引き取りました。父親のときもそうだったのですが、深く溜め息をついたかと思ったらそのまま魂は抜け、二度と呼吸は戻りませんでした。
心の準備はできていたので、ひととおり泣きあったあと、からだが硬直する前に「湯かん」をしてあげました。近所のお店でお線香とお花を買い求め、手向けました。
当日はたまたま娘が早く帰宅でき、息子も会社の帰りに寄り焼香してくれました。あんこが家族4人を呼び寄せてくれ、ちょっとしたお通夜になりました。
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12日には深大寺動物霊園で、僕と連れ合いと休みが取れた娘の立ち会いのもと火葬。
霊園は亡くなった当日電話で予約しておきました。当日は送迎の車を用意してくれ、車中の飼い主への心のケアも篤いものでした。話を聞くと独り暮らしの方でペットを亡くされてしまった場合、心のダメージが大きく、獣医から指名で火葬を依頼されることもあるとのことでした。よい方に最期にお世話いただきあんこも僕らも幸運だったと思いました。
あんこは思い出になりました。もうなでることはできないけど、あの感触、顔、声は思い出すことができる。僕ら4人の誰かが生きている限り、あんこも生き続けます。ありがとう。そしてずっといっしょにいような。あんこ。
黒猫姉様とパステルミケ娘様の詳細は「そらより、とは」で