やまつつじ

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遠浅の海となだらかな丘陵に挟まれたせまい土地に、僕の産まれた村はあった。

平地が丘陵地帯の奥まで入り組み、谷状となったどん詰まりでは清水が湧き出ていた。そこは谷津(やつ)と呼ばれ、村から谷津に続く平地に田んぼが連なっていた。

初夏のよく晴れた日、僕と叔母は、谷津の田んぼで農作業をする家族にお昼ご飯を届けた。

叔母は、中学生の時に僕が生まれ、いっしょに暮らす初めての甥っ子だったせいか、実の弟のように可愛がってくれた。その日も、いっしょに歌ったり、しりとりやたわいもない話をしながら、遠い道のりを進んだ。

田んぼの脇をちょろちょろ音を立てて流れる、土がむき出しの水路では、溜まりにメダカが泳いでる。日陰の湿地にはモウセンゴケなどの食虫植物が口を開けている。

道すがら先に走って行ってはそれらを見つけ叔母に報告したものだった。すると叔母は「メダカは何匹いたのか」「モウセンゴケにはどんな虫がつかまっていたのか」と聞いてくる。僕はそれを確かめにまた走った。幼いころから優れた家庭教師がついていた。

叔母は燃えるように咲く朱色のやまつつじが好きだった。谷津に近づくと農道は小高い雑木林の淵に沿って切り出され、曲がりくねる。やまつつじは道のあちこちに咲いていた。僕は角の向こうまで走り、この先に大きなやまつつじがあることを叔母に教え得意になった。

谷津の田んぼに着くと泥まみれになって働く父と母、祖父と祖母、そして叔父がいた。僕らを見つけると誰かが「おう」と声を上げ、いっせいに田んぼから上がった。木陰の涼しい土手にムシロを広げ、家から持ってきた鰹節の海苔巻を頬張った。

食べ終わると家族はみな思い思いの場所で昼寝をした。柔らかい草の上。乾いた土がむき出しになった日当たりのよい土手のくぼみ。まるで森で暮らすキツネやタヌキのように上手に丸まり、短い休息をとった。

僕はそのころ祖母の布団でいっしょに寝ていたので、そのときもたぶん隣にいたと思う。でもすぐに起き出しては水路や畔にめずらしい生き物はいないか探し歩いた。結局何の成果も得られないのだが、じっとしているなんてバカみたいなので、次善の策をとったわけだ。幼い好奇心は、ただこの世界を感じているだけで満たされた。

あのとき田んぼの周りの風景はどうだったのだろう。萌えるさまざまな色合いの緑。農道に沿って削られたむき出しの黄色い土。田んぼの黒い泥と光る水。すっくと立つ若い稲。そしてあちこちに火炎のようなやまつつじが咲いていたはずだ。

 

 

 

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