急峻な坂を5分ほど登った丘の上に、それはある。
高さ3メートル弱、直径5メートルほどのお椀を伏せたような円墳だ。行き届いているというほどではないが、毎年誰かが手を入れているようで、ちょろちょろと短い草が生えている。
すぐ横には、殿様の側室だったという方の広い墓所があり、うっそうとした林のそこだけが開け、天を仰ぎ見ることができる。
円墳には即身仏、あるいは即身仏になろうとした男が眠るとされている。
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昔、この辺りでは水争いが絶えなかった。広大な田園地帯だが、残念ながら1本の小川が流れるのみで、水利を巡り、代官に裁きを申し出る者がたびたびあった。
下流と上流の争いは、いよいよ激化すると死人まで出たそうだ。
即身仏の俗名はおろか、どの邦の出身で、歳がいくつで、どんな人物だったのか、書物にも人々の記憶にも残るものはない。ただ言い伝えられているのは、彼が旅の僧ということだけだ。
たまたま訪れた地で刃傷沙汰に発展した村同士の争いに遭遇し、それを鎮めるため、自ら名乗り出たということらしい。
殿様の側室の墓所近くに墳墓があることから、地域の有力者の支援があったことは想像にかたくない。
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高僧の場合、即身仏となるには断食など入念な準備が必要とされる。ミイラ状となった遺骸を残すためだ。
一方こちらは争いを鎮めるというのが大願で、遺骸を残すことが目的ではない。行為こそが仏の御心の体現である。そのため絶命後、遺体があらためられることはなかったにちがいない。それを承知の“入定”だったのだ。即身仏とは呼べないかもしれないが、その行動が人びとに感銘を与えたことは間違いない。
旅の僧が木桶ごと埋められて後20日間、1本の竹筒によって設けられた通気口から鈴の音が聞こえたという。
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過ぎゆく秋の曇天の下。甲高い野鳥の声が淀んだ空気を引き裂く。彼は最期に何を想ったろうか。息子の帰郷をとっくにあきらめた母に、虫の報せは届いたろうか。