幼いころ、祖母は「ある場所」によく連れて行ってくれた。
バスで1時間ほど揺られた先の、終点にある、栄えた街。今はすっかり寂れてしまったが、当時は駅前に大型バス2台が入るターミナルがあり、目抜き通りを挟んで2つのデパートが覇を競っていた。
その街の一角に小さなクリーニング店があった。
駅の近くでありながら、路は狭く、ひっきりなしに車が行き交う。バスが軒先をかすめるように通り、祖母と僕はびくびくしながら端っこを歩かなければならなかった。車が巻き上げる埃で、クリーニング店の硝子戸はいつも汚れていた。しかし店に入り、戸を閉めると、路の喧騒は噓のように遠のいた。静寂と布に当てるスチームの匂いが、やっと安全な場所に着いたことを教えてくれた。
店には祖母と歳が近そうなおじちゃんとやや若いおばちゃんがいた。祖母は二人と仲よくおしゃべりをして時を過ごした。明るく社交的な性格だったが、そこで見せる表情や話し声はいつにも増して華やいでいた。
僕には、飽きないようにとラーメンの出前を取ってくれた。これがたのしみで、ラーメンが食べたくなると、僕はまたあそこに連れて行ってくれとねだったものだった。すると祖母は人差し指を口に当て、それは内緒だよと諭すのだった。ただ一度、祖父の前で口を滑らせてしまったことがあり、祖母は慌てて何か言い訳をしているようだった。その様子から、本当に言ってはいけなかったのだと思い知った。
なぜ秘密だったのだろう。尋ねることもしなかったので、結局、その真相は謎のままである。ある程度大きくなってから、何度かそのことを考え、僕はひとつの仮説を立てた。あのおじちゃんはかつての恋人だったのではないだろうか。いっしょにいたおばちゃんは妹で、だから二人と親しかったのだ。祖母の故郷は街からそう遠いところではない。同郷であったとしても不思議はなかった。
祖父と祖母は見合いによる結婚だった。祖父は早くに父を亡くし、母親に大切に育てられた。家長となってからは相当に横暴だったらしく、奉公に来ていた女性に手を出したこともあった。祖母はそんな夫に腹が立って仕方なかったのだろう。よく陰で文句を言っていた。
僕は父が21歳の時に生まれた。祖母もまだ若かったのだ。恋仲だった相手に会いにいくのは、きっとよい気晴らしになっただろうし、あてつけには最適な手段だったともいえる。
祖母にも青春があり、淡い名残りがあった。思えば可愛いひとだった。