Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

フルサト

いただいた服が恐い

投稿日:

亡くなった方の服をいただいた。

四十九日の法要を終えた翌日、遺品整理にはまだ早いはずだが、奥様がわざわざ実家に届けてくれた。

精進落としで座を盛り上げてくれたお礼の気持ちということらしい。仏事でにぎやかし、も変な話だが、田舎のことゆえ大らかである。酒(「さ」の神の気)が入った者どもの笑いは弔いだ。

故人は背が高く骨太だった。やや細身の倅さんには大きいのだろう。タンスの引き出しの奥に大切にしまわれていたと思われる暖かそうなカウチンセーターやシャツなどが数着、冬に帰ってきたときの寒さしのぎになればと、実家の縁側に広げられた。

行年81歳である。コントラストのはっきりした大柄の模様が気持ちの若さを物語っていた。生前、身だしなみに気を使っていらっしゃったのは知っている。しかし想像以上に洒落者だったようだ。

故人と僕に血縁はない。ただ斜め向かいの家同士、知る限り先々代から親類同様のつきあいをしてきた。

とくに故人の父はうちの子どもたちにやさしかったという。祖父はしつけに厳しいひとで、とくにちゃっかり者の次男には強く当たった。たとえば蒸かしたサツマイモを盗み食いなどしようものなら竹尺が折れるほどの折檻が待ち受けていた。庭先で「どこへ行った!」と祖父が怒鳴る中、生垣の下に身を潜めている次男を見つけると、そっと声を掛け家にかくまってくれたという。

僕自身も故人の家でよく遊び、おやつや夕飯、お風呂までいただき可愛がってもらった。NHK紅白歌合戦を初めてカラーで見たのもその家だった。カラーテレビを買ったからと祖母と母と僕を招待してくれたのだ。

故人は厳格者として知られた。妥協を許さず、己の正義を他人に強いるので村人には煙たがれていた。ただ公明正大というわけで区長や後援会会長などの要職が自然と回ってきた。志の高さが役を惹きつけていたといえる。

ある日僕が庭の八重桜にしがみつき、電線に届きそうな枝を切っていると斜め向かいの庭から故人が大声で怒鳴る。高いところでの不慣れな枝の剪定で苦戦している姿を見とがめ鋸の使い方を教えようとしているのだ。

「そうじゃねえ。押して引くんだよ。押して、引く。押して…」

こちらは足も腕もぷるぷるし、押しの一手で切るのが精一杯。いい大人になって鋸の使い方もままならない不甲斐なさについ声を荒げてしまったのだろう。

間違いを犯している者を捨て置かない。篤実で、いいひとだった。

さて、この形見の品。ワードローブが増えるのはありがたいが、じつはちょっと恐ろしくもある。ひとり晩酌中にうっかり愚痴でもこぼそうものなら、耳元でどやされるのではないか。まさかとは思うが、あのひとならやりかねない。

 

スポンサーリンク

-フルサト
-

Copyright© 想うがままに mysorayori , 2019 All Rights Reserved.