母の世話で一人実家に帰省して丸3年。この秋初めて干し柿を作りました。
祖母が元気で僕もまだ幼かったころ。50年以上前のことです。古民家の母屋の軒先で祖母はよく渋柿の皮を剥いていました。それを祖父が2個対に紐で結び、竹竿に並べ掛けます。軒下の先には鯉のぼりの柱などを掛けしまっておくための金具があり、そこに竹竿を掛けるのです。軒の長さは9間以上(約17m)ありましたから、むきたての黄色い渋柿がずらっと並ぶ様子はそれはそれは壮観でした。
祖父はある年に干し柿作りが面倒と、空いた肥料のビニール袋に渋柿を入れ甘くするという豪快なことをやっていました。渋柿に焼酎を降り掛け、口を縛り、冷暗所で10日ほど放置しておくと、柔らかく甘い柿が出来あがり、僕はどちらかというと干し柿よりこちらが好みでした。
僕が結婚し家を離れて数年のことですから30年近く前になりますか。祖母は昔のように軒先で渋柿の皮をむいていたそうです。しかし何がよくなかったのか風邪をひいてしまい、それをきっかけに脳梗塞を引き起こし、長い闘病生活の末、亡くなりました。干し柿に罪はないのですが、もともと好物という訳でもなかったこともあり、それからなんとなく食べる機会を逸していました。
それがなぜか、ようよう実家暮らしに慣れてきた今年、干し柿を自分で作ってみようと思い立ったのです。
実家には庭先の畑の横に柿の木が7本ほどあります。でもこちらは甘いもの。渋柿は屋敷のその反対の北側に1本と、少し離れた空き地に5本ほどあります。今回は試しに北側の1本から20個ほどもいで、皮をむいてみました。
古い母屋は解体してもうありません。でも長く伸びた軒のある古い倉庫が残っています。昨年、何かに使えるかもと、自家の竹やぶから枯れかけの竹を切り出し、保管してあったものが竿として使えます。柿を結ぶ紐も古民家と同時に解体した蔵にあった麻紐が使えそうでした。
渋柿を吊るした竹竿を庭に置いた脚立の間に掛け、日光に当てます。夜は露や霜を避け、倉庫の軒下に戻します。これを毎日繰り返すこと2週間、1回雨に降られ濡らしてしまう事件がありましたが、ようやく耳たぶほどのやわらかさとなり食べられるまでになりました。
試しに1対を取り、干し柿を1個かじってみます。すると乾いた表面は皮のように硬さを帯びていましたが、中は汁気たっぷりのとろとろの果肉となっていました。驚いたのはそれが砂糖を煮詰めたような極めて高い糖度を帯びていたことでした。舌先が痺れ、しばらく残るほどの渋みがこれまでになるのですから、甘い菓子などほとんど手に入らなかった昔の人が干し柿を自作するのは当然の習慣だったのですね。
出来た干し柿を食べやすいように細く切り分け、母に味見してもらうと、やはり驚いていました。母も20年前に亡くなった父も干し柿をわざわざ作るような人ではないので、ほんとうに久しぶりに自家製の干し柿を食したことになります。美味しくできたことがちょっと親孝行になったのかな、と思えたうれしい瞬間でした。
今週末は離れて暮らす家族と長男のお嫁さんのご実家に、ちょうど食べごろになったさつまいもといっしょにこの干し柿を贈ってあげようと思います。今年はよい暮れを迎えられそうです。